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東京23区のマンション

千代田区

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千代田区(ちよだく)は、東京都の特別区のひとつ。23区のほぼ中央に位置する。

区の真ん中に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占めている。

国会・最高裁判所・首相官邸・中央省庁などの三権をはじめとする日本の首都機能、国家権力の中枢がこの区に集中しており、区内の永田町、霞が関といった地名はもはや日本の政治や官僚の代名詞ともなっている。千代田区はいわば日本の政治・行政の中心といえる。

また、丸の内や大手町は都市銀行本店や全国紙の新聞社など、大企業の本社が集結している。

神田エリアは出版社が多く立地しているなど、本と出版の街であり、書店街の神保町がある。

そのほか、千代田区には、外神田地区の秋葉原電気街、高級住宅地の番町、文京地区の駿河台がある。

都心3区の1つ(残りは中央区、港区)であり、区の大部分がオフィス街及び官公庁街であるため純粋な住宅地は限られており、それゆえ夜間人口と昼間人口の差は極端である。夜間人口は約4万4000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約85万人にまで膨れ上がる。

なお、以前は東京都庁が千代田区丸の内にあったが、現在は新宿区西新宿に移転している。

防災対策
東京都災害拠点病院病床数…904床
避難所…23ヶ所
避難所収容人員…25,812人
給水拠点確保水量…3,100立方m
屋外拡声器…71ヵ所
備蓄倉庫数…46ヵ所
救急告示医療機関…3ヵ所
街頭消火器…約770本
消防ポンプ車…16台
救急車…7台

中央区

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東京の都心を形成する区(都心3区)のひとつである。区内には、銀座、日本橋、築地といった街がある。面積は10.15km²で、23区の中では台東区に次いで2番目に小さい。2006年現在の人口は9万人で、千代田区に次いで少ないが、大商業地域を複数抱えるため、昼間人口は65万人に膨れ上がる。中央区は商業地域としての特徴が強く、建物はビルやマンションが大半を占め、一戸建住宅やアパートは極めて少ない。道路は碁盤目状で、他区と比べると比較的よく整備されている。

区域の西側は江戸時代には日本橋や京橋など下町として栄えた地域であり、東側は同時代からの埋め立てによって出来た地域である。現在、中央区は行政上、日本橋、京橋(銀座・築地などを含む)及び月島の3地域に区分されている。

中央区は終戦直後まで運河と水運の町であった。区内には京橋川・桜川・築地川・汐留川・三十間堀川・箱崎川・浜町川・竜閑川などが縦横無尽に張り巡らされていた。これらの河川は戦後の残土処理や高速道路建設のため埋め立てられ、現在では往時の姿を殆ど残していないが、町や区界はこの河川に沿っていることが多い。

区の北端との区界は竜閑川跡、西端は外堀跡および日本橋川、南端は汐留川跡である。区の東端には江東区との境に隅田川が流れる。隅田川は下流で二股に分かれ(西側が本流、東側は「派流晴海運河」)、その中州には佃や月島、勝どき、豊海町、晴海がある。区の南東部は東京湾に面している。

区中央部には日本の道路網の始点である日本橋があり、日本最初の地下鉄も中央通りに沿って作られた。区北西部で外堀通りを挟んで接する千代田区側には東京駅があり、その八重洲側出口(東側)が中央区へ、丸の内側出口(西側)が千代田区へ開いている。また、区南部の晴海埠頭(東京港のひとつ)には晴海客船ターミナルがある。

ドラマ
水戸黄門 (TBS) - 江戸が舞台のときは度々。
ランチの女王 (フジテレビ) - 日本橋の洋食屋「キッチンマカロニ」を舞台とするドラマ。
アニメ・特撮
帰ってきたウルトラマン (TBS) - 防衛組織「MAT」の地上オフィスがあるという設定。
月面兎兵器ミーナ (フジテレビ) - 月島地区を匂わせる街並みが多々登場。

港区

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港区は、企業本社を日本で最も多く構える区であり、いわば日本のビジネスの中心である。特に、虎ノ門・新橋・芝をはじめとしたビジネス街では、経済活動が非常に活発である。そのほか港区内には、六本木・青山などの商業エリアや、麻布・白金台などの高級住宅街、汐留・台場などの大規模開発地区がある。

駐日大使館や外資系企業が多く立地し、外国人居住者も人口の約1割を占める。

赤穂浪士の墓所として知られる泉岳寺、徳川家の菩提寺増上寺をはじめとして由緒ある寺社が位置するほか、江戸市街の外縁であったため諸大名の下屋敷が立ち並んでいた地域であり、そのため都心でありながら緑地に富む。

青山は、徳川家康の重臣であった青山家の広大な屋敷にちなんで名付けられた地名である。古語で墓所を意味する青山(せいざん)ではない。

元赤坂二丁目にある迎賓館、三田二丁目の三井クラブは、明治時代に建設された洋風宮殿で、文化的価値が高い。

 東部を山手線が走り、都営地下鉄浅草線がそれとほぼ並行に走る。目黒方面から白金高輪駅まで線路を共有してくる都営地下鉄三田線と東京地下鉄南北線がそれぞれ皇居の南回り、北回りで都心方面へ向かっている。
 東西方向には都営地下鉄大江戸線と東京地下鉄銀座線が走る。また、区の北西部を東京地下鉄千代田線と東京地下鉄半蔵門線が走る。東京地下鉄日比谷線は区の北東部から南西部へと縦断している。

なお、品川駅は港区にある。

新宿区

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東京都に23存在する特別区の一つであり、23区の中央やや西側に位置する。1991年より都庁所在地。本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。

かつての35区が22区(のち23区)に移行した1947年に発足した区であり、行政機構としての歴史は比較的浅い。また、3つの区が「寄り合い所帯」となって誕生した経緯から、個性に富んだ地域が区内に点在する。

古くは甲州街道の通り道として栄えた新宿地区は大繁華街が形成されており、新宿駅は鉄道各路線のターミナルのため昼夜の人口増減が特に著しい。かつては都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は住宅地となっている。旧牛込区である東部は戦災被害が比較的軽かったため戦後の再開発とは無縁で、古くからの住民によるコミュニティが続く。(四谷地区とともに、江戸時代の武家屋敷に由来する町名も多数残っている。)また、南部は新宿御苑や明治神宮外苑があり、緑が豊富である。

このほか、早稲田大学や東京理科大学など大学・学校も多い。慶應義塾大学病院や東京女子医大病院などの大病院も、多数集積している。また、新宿区は都内で最も外国人登録者が多い区である。(外国人のなかでもとりわけ、韓国人と中国人が多数居住している。特に大久保、大久保駅、新大久保駅周辺から職安通りにはコリアタウンをはじめとする、外国人コミュニティが形成されている。)新宿区の発展に伴い、東京都庁や防衛省などの官公庁も移転してきた。

このように、商業地と住宅地、歴史ある地名と再開発地域、多国籍といった、まさに大都市の光景を縮図にした性格を新宿区はもっている。

新宿区内には以下の鉄道路線が敷設されており、いずれも区内に駅がある。最も古い路線は日本鉄道品川線(現在のJR山手線の一部、1885年3月1日開業)、最も新しい路線は都営地下鉄大江戸線(2000年12月12日全線開通)である。また、2008年6月に新たに東京地下鉄副都心線が開業予定。

文京区

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23区の中央北寄りに位置する文教と住宅の街。明治より夏目漱石等の著名な文人・学者・政治家が多く集まった。出版・印刷、先端医療が盛ん。大規模病院が多い。東京ドーム、講道館(柔道)、東京大学がある。

文京区は、東京都の東部、皇居の北側に位置する。文京区役所の正確な位置は、東経139度45分40秒・北緯35度42分20秒。 武蔵野台地の坂、神田川などにつくられた低地部、5つの台地(関口台、小日向台、小石川台、白山台、本郷台)や谷から成り立ち、坂の多い地域である。 高度は、後楽一丁目の海抜3.1メートルを最低に、大塚五丁目付近で海抜34メートルである。面積は、11.31km²であり、特別区では4番目に面積の小さい区である。

現在の文京区に人が住み始めたのはおよそ18,000年前頃の旧石器時代と考えられている。区内28カ所に縄文遺跡が確認され、本郷台地周辺で貝塚と縄文土器が多数発見されている。1884年(明治17年)に向ヶ丘弥生町(現在の弥生一丁目)で発見された土器は、その発見地から弥生式土器と命名され、弥生時代の名の由来となっている。

鎌倉時代までいくつかの集落のある寒村であった。中世に至って上杉氏の支配下に入り太田氏・豊島氏などの豪族の影響を受け、後北条氏の支配地となり、農村として徐々に発展していたようである。

1590年(天正18年)、徳川家康の江戸入城により、城下の開発が進み、大名屋敷や武家屋敷が置かれたほか、伝通院や護国寺などが創建される。江戸中期には区域の多くが市街化し、中山道の街道筋に商店が建ち並ぶなど商業が活発化した。 明治以降、武家地であった広大な土地は大学や軍用に転用される。幕府学問所だった昌平坂学問所(湯島聖堂)跡に師範学校・女子師範学校が設立される。また、水戸徳川家の上屋敷の庭園が小石川後楽園、柳沢吉保の下屋敷が六義園として都市公園になり緑地化が進む。

1878年(明治11年)、郡区町村編制法により小石川区と本郷区誕生。広大な加賀前田家の屋敷跡に帝国大学(現東京大学)設置、大学周辺に出版社が集まり、それに伴って多くの文人達が集まり、坪内逍遥、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉などが居を構えた。その後、急激に都市化する。

1937年(昭和12年)、東京砲兵工廠の跡地に後楽園スタジアム(現在の東京ドーム)が誕生し、戦後のプロ野球復活と共に娯楽地として発展する。 1947年(昭和22年)、市街地編成として小石川区と本郷区が合併し文京区誕生(1947年(昭和22年)3月5日公布、同年3月15日施行)。区の名称は『文京』の名が書きやすく、“文教の府”のイメージと一致しているとして、両区の区議会で採用された。 1999年(平成11年)、35年ぶりに人口増加へ転じている。

台東区

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江戸時代を通じて、東京で最も古い市街地のひとつで、浅草は有名な下町。東京23区の中央からやや北東寄りに位置し、東側は隅田川に接する。区の中心駅である上野駅には、新幹線も停車する。面積は23区の中で一番狭い。

上野地区は江戸時代から続く寛永寺の門前町で、現在も東京有数の繁華街である。交通の要衝である上野駅や、日本初の公園で、上野動物園や博物館、美術館など各種文化施設を抱える上野恩賜公園、さらに生鮮食品を中心とした大規模商店街「アメヤ横丁」があるので、多くの人が集まる地域である。続く文京区湯島には湯島天神があり、正月は受験生を中心とした初詣客が多く参拝する。
浅草地区は、東京を代表する下町といえる。浅草寺や仲見世通りなど名所が多い地域で、外国人にも人気があり、正月の初詣客も多い。花川戸にはバッグや靴など皮革製品の卸が多い。西浅草は、調理器具などの卸街「合羽通り商店街」があり、土産物としてラーメンや寿司などの展示用料理サンプルを買い求める外国人もいる。浅草から上野に至る間には、寺院が多い関係で(元浅草,東上野,松が谷,西浅草地区)仏壇や仏具などの卸が多い。
浅草から南に下った蔵前~浅草橋地区は吉徳大光、秀月、久月など人形の街として有名。玩具関係の卸も多い。浅草橋からさらに南下した中央区横山町・馬喰町にかけては、都内の衣料品卸が集中する地区である。
根岸、谷中周辺も歴史のある町だが、鶯谷駅前にはラブホテルが乱立している。
入谷地区は寺社が多く、有名な入谷鬼子母神がある。毎年7月6日から8日にかけて「朝顔市」があり、アサガオを買い求める人でにぎわう。
千束地区は、酉の市で有名な鷲神社がある。神社の裏手は日本有数のソープランド街である「新吉原」(1966年までの住居表示実施前の地名)。隣の竜泉には、樋口一葉の代表作「たけくらべ」の舞台となったことにちなんで作られた一葉記念館があるが、平成18年11月初旬まで西浅草に一時移転中。さらに続く清川、日本堤、橋場、隣区となる荒川区南千住周辺は、簡易宿泊所が多い、いわゆるドヤ街といわれる「山谷」地区(1966年までの住居表示実施前の地名)。
台東区秋葉原は、一般に言う「秋葉原」地区のごく狭い一部の地域(一般に言う「秋葉原」地区の多くは千代田区外神田などの住所)。
このように、台東区は歴史ある下町としての名所を数多く持っている。

イベント
隅田川花火大会(7月下旬)
日本三大花火の一つ。首都圏最大級の花火大会で、全国から見物客が押し寄せ大変な賑わいとなる。毎年NHKや、民放各局が中継ヘリにて取材を行う。
浅草サンバカーニバル
浅草寺の初詣

祭事
浅草寺
浅草三社祭
三社とは三柱の御神体を祀るという意味で、浅草神社の別名でもある。ただ、浅草神社のご神体は浅草寺の観音様を引き上げた漁師の兄弟とそれを祀りなさいと指示した僧侶を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれており、他の神社の神輿は高いところから見下ろしてはならないとされているが、三社さま人間を祀っている為構わないともされている。ただ、勢いのよさと大きく有名な浅草寺内という境内を持つ為、有名な祭りとされ、毎年新聞社や各テレビ局が取材に訪れる。
小野照崎神社大祭
小野照崎神社を中心に近隣十七ヶ町の氏子による祭。祭礼日は毎年5月19日より前の土日と定められている。天照大神を祀っている為、格の高さは台東区内でもトップクラスの神社である。
鳥越神社大祭
鳥越神社は千貫神輿が有名であり、日本武尊を祀っている。
今戸祭
今戸神社及び地区町会をあげて主催する祭。

墨田区

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墨田区(すみだく)は、東京都の特別区のひとつ。

民話「おいてけ堀」は、昔の墨田区が舞台である。水の郷百選に選ばれている。

2006年に区内の押上・業平橋地区に新東京タワーの建築が正式決定した。2011年に、建造物では世界一となる高さ610メートルのタワーが完成予定。観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという、今後一躍注目される区になる。

東京都の東部の区であり、西の区境は隅田川と東の区境は荒川および中川にに挟まれた位置にある河川に挟まれた町である。

区の北部と南部では、歴史に大きな違い見られる。北部は、平安時代ごろから歴史に登場し、室町時代以降は農村地帯として発展を遂げていた。一方、南部は湿地帯であり、人が住むには極めて向かない土地であった。しかし、江戸中心部が1657年(明暦3年)の振袖火事によって焼け野原になったため、防災対策の一環として武家屋敷が当区南部へと移動することとなった。同時に、竪川・大横川をはじめとする河川の掘削や南北割下水(今で言うところの北斎通り近辺に存在した。)や碁盤目状の道路の整備が行われた。

その後、明治になると、1878年(明治11年)に北部は北葛飾郡に編入され、南部は本所区として成立するようになる。また、工業化の波が押し寄せることとなり、北部も南部も開発が進んでいくようになった。1894年(明治27年)には、現在でも重要な交通手段である総武線が開業した。しかし、このように発展してきたが、1923年(大正12年)の関東大震災により、区域の大半が焼失することとなった。特に、元陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園など)では、多くの人が避難をしたものの、猛火に遇い、4~5万人といわれる多大な焼死者を出した。

やがて、それらによる被害も復興していくようになり、1932年(昭和7年)には、北部に向島区が誕生することとなった。しかし、第二次世界大戦(特に東京大空襲)によりまたもや区内全土は大きく焼失することとなった。

戦後、1947年(昭和22年)に本所区と向島区が合併し現在の墨田区が誕生した。この区名は、隅田川の堤の通称「墨堤」から墨を、隅田川から田を取ったものであった。1963年(昭和38年)までは、町の復興及び発展とともに人口が増加していったものの、その後は頭打ちとなり減少し始めた。また、町工場も郊外や海外への移転などにともない減少していくこととなった。近年では、これら工場跡地にマンションを建てるなどの開発が進められている。なお、人口は横ばいか微増傾向にある。

主な事業所
アサヒビール - 吾妻橋の隅田川のたもと、区役所の隣に本社を持つ(登記上本社は中央区京橋)。ビールの注がれたグラスをモチーフとしたオフィス棟、その隣には巨大な火の玉の様なオブジェ(聖火をモチーフ)を頂いた棟があり、ランドマークとなっている。
東武鉄道 - 業平に本社がある。本社近くに架かる橋は東武橋(管理は墨田区)
京成電鉄 - 押上に本社がある。本社近くにかかる橋は京成橋(管理は東京都)
イチジク製薬 - 東駒形に本社がある。
日本たばこ産業 - 横川に事業所かある。
ライオン
昭和建産 - 三和シヤッター工業グループのうちの一社。
アメリカンホーム保険会社 - 錦糸町の駅前 AIGタワー21階

江東区

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江東区(こうとうく)は、東京都の特別区のひとつ。 旧深川区・城東区、及び埋立地から成る。区名の由来は、隅田川の東の意、及び深川を意味する「江」と城東の「東」を合成したものである。

東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面し、東京都中央区、港区、品川区、大田区、墨田区、江戸川区に接する。

江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ寺社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた。また、区周辺部、特に臨海副都心や南砂地区等は大規模マンションや医療・福祉施設の建設が相次いでいる。近年はマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。同様に、保育園も不足する事態に陥り、待機児童が増加している。

区の西部(東京市深川区に相当する地域)は関東大震災および東京大空襲などを経て区画整理がされている。

かつて地下水の汲み上げにより地盤沈下したことで、区の大部分がゼロメートル地帯となっている。また、運河と橋が多く、区では“水彩都市”と呼んでいる。道路と水路が連なって作られており、住宅地の側を船が行き交うことも多い。 区内には東京都から副都心に指定されている臨海副都心と錦糸町・亀戸副都心があり、二つの副都心を包括している。このこともあり、区内には観光客や会社員も多くやって来る。 臨海副都心は港区にも跨っているが、実際には江東区が大部分を占めており、江東区臨海副都心部は近年急速に開発が進められた新興開発地域となっており、街の景観は非常に近代的。 錦糸町・亀戸副都心のほうは、昔からあった大繁華街で、古くから下町として栄えた。1990年代後半から、東京の新スポットとしても急速に開けており、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並へと変貌した。 臨海副都心部には埋立地が多く、ゴミ埋立てで有名な夢の島や青海、有明などは観光地区としても賑わっている。 また、臨海部にある湾岸地域は港区、江戸川区と海岸線を連ねて繋がっており、台場や東京ディズニーリゾートへの交通の便が良い。

面積は39.48km²だが、この数字には大田区と係争中の中央防波堤地区は含んでいない。

区の臨海方面にあるかつてのゴミ埋立地である夢の島一帯は大規模な公園が作られ、市街開発にあたって並木や草木が大量に植えられ、東京23区内とは思えないほどの緑の多い地域となっている。また、大島から木場にかけて再開発で市街整備され大型公園や歩道の増強により、緑地環境が増やされた。一方で、錦糸町・亀戸副都心には大規模な公園が無いので、緑地地域が減少傾向にある。また臨海副都心方面はオフィス街が連なっており、緑地地域は少ない。しかし南砂や大島、深川等の下町や住宅街には緑地地域が整備されマンション内や商店街にいくつかの公園が点在し、イチョウや柳などの樹木も多く植えられている。

品川区

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品川区(しながわく)は、東京都の特別区のひとつ。

台地と低地と埋立地がある。
台地は、目黒川の北に芝白金台、目黒川と立会川の間に目黒台、立会川の南には荏原台がある。どれも武蔵野台地の末端である。
低地は、品川地域や大井地域および川沿いに広がっている。

教育
小中一貫教育(2006年4月より実施)
従来ありがちな小学校から中学校への進学に伴う学習指導や生活指導の連携の悪さを解消し、小学校6年間・中学校3年間にあたる計9年間に一貫したカリキュラムを編成・実践することで、子どもの個性と能力の伸長を図る事を目的とする。
9年間を大きく4年間と、5年間に分割。さらに後半の5年間を3年間と2年間に分割し、それぞれ教育内容や教育方法を変化させる。
最初の4年間は、学級担任制とし、基礎・基本の習得に重点を置く。
後半5年間は教科担任制とし個性・能力を伸ばす学習を重視する。最初の3年間は、基礎・基本を徹底させる期間として習熟度別学習を充実させる。
最後の2年間は個性と能力の更なる伸長を目指し、自主学習を重視したカリキュラムをとる。
カリキュラムの特徴として1年生より英語科の授業を行う。また、人間形成を目的として、社会の中で生きていくのに役立つ、正しい認知と具体的な行動を身に付けさせる、市民科を9年間通して学習する。
小中一貫教育は特定の一貫校だけではなく、区内すべての小学校中学校で導入される(平成18年度より)。

芸能
石橋蓮司(俳優)
石川よしひろ(シンガーソングライター)
黒澤明(映画監督)
真田広之(俳優)
佐野光来(2005クラリオンガールグランプリ)
島倉千代子(演歌歌手)
清水佑悟(THE GRANDWAZOO ベース)
毒蝮三太夫(タレント)
林家彦六(落語家)
真琴つばさ(元・宝塚歌劇団月組)

目黒区

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目黒区(めぐろく)は東京都の特別区のひとつ。23区の南西部に位置する。住宅地として発展。

新しく移転した区役所は、2000年に経営破綻した旧千代田生命保険本社ビル(設計・村野藤吾)を区が買収し、総合庁舎として改修したもの。旧区役所は耐震性に問題があり、移転が課題となっていた。2006年12月頃、多数の区議が政務調査費を不正に使用もしくは私的流用をしているとオンブズマンが主張したことが原因で政治的混乱が起こった(目黒ショック)。

目黒区では、住民の利便性を図り、地域ごとの特色ある街づくりを支援するため、独自の行政上の単位として、小学校の通学区域を基本とした22の住区を設定している。住区は、住人の生活に最も密着した地域社会が形成されるような地域単位であると想定され、区の地域政策の基本単位である。

各住区には住区センターが設置され、住民の交流活動や学校外教育活動の場として利用されてきた。また、各住区では、個人、町会、自冶会、PTA、商店会、社会教育関係団体等により住区住民会議という組織がつくられ、住区の問題に対して対応するようになっている。

もともと、各住区センターには住区サービス事務所が設けられ、区が行う行政サービスの一部が受けられるようになっていた。しかし、後により広い範囲を基本とした地区サービス事務所が開設されると、行政サービスは地区サービス事務所に移り、現在、住区センターは住区住民会議や住民の集会を行う場として使われている。住区センターには、児童館や老人憩いの場などが併設されている例もある。

[編集] 芸能人
桜井浩子(女優)
山本耕一(俳優)
徳光和夫(司会者)
金子貴俊(俳優)
松尾紀子(アナウンサー)
毛利八郎(アナウンサー)
奥山佳恵(タレント)
秋元康(作詞家)
石井希和(アナウンサー)
水谷加奈(アナウンサー)
深水真紀子(女優)
尾美としのり(俳優)
はたえ金次郎(アナウンサー)

大田区

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大田区(おおたく)は関東地方の南部、東京都の南東部に位置する特別区のひとつ。特別区の内では最南端にあり、多摩川を挟んで神奈川県と接する。アメリカのセーラム市と姉妹都市である。

区域の地形は東京港に面する臨海部の埋立地、南東部の低地、北西部の台地に分かれている。埋立地には物流拠点や工業団地があり、低地(自然隆起と沖積低地)は住宅、町工場等が混在している。台地(武蔵野台地の東南端に当たる。国分寺崖線、山王から池上に伸びる南北崖線、久が原台、田園調布台、荏原台)は良好な住宅地域となっている。低地と台地の境は坂になっており、区域に名称を持つ坂は約50ある。標高は東から西に向かって高くなり、区域東の埋立地で約1m、区域西の田園調布では約42.5mとなる。

大田区は東京湾埋立てによって区域拡大してきた。1967年(昭和42年)平和島、昭和島竣功、1972年(昭和47年)大井ふ頭竣功、1974年(昭和49年)京浜島竣功、1978年(昭和53年)城南島竣功と次々に人工島を造成し、更に1984年(昭和59年)から始まった羽田空港沖合埋立て工事が1992年(平成4年)完了により世田谷区を抜いて特別区総面積の9.6%を占める最も大きな区となった。総面積59.46平方Kmの内、0.65平方Kmは公有水面である。

区域は大正時代~昭和時代初期にほぼ全域で耕地整理が行われ、道路など都市基盤の原形が整備された。現在は大森、蒲田を「中心核」とし、その他鉄道駅周辺を「地域核」、羽田を「未来核」とし整備が行われている。
大田区では区域を4地域に分割し各地域ごとに地域行政センターを設置している。更に地域行政センターの下部組織として特別出張所を設置している。

大田北地域(大田北地域行政センター)
池上、馬込、大森東、大森西、入新井、新井宿の各特別出張所が所管する地区
大田南地域(大田南地域行政センター)
蒲田東、蒲田西、矢口、六郷の各特別出張所が所管する地区
大田西地域(大田西地域行政センター)
田園調布、嶺町、鵜の木、久が原、雪谷、千束の各特別出張所が所管する地区
大田東地域(大田東地域行政センター)
糀谷、羽田の各特別出張所が所管する地区
区域の町
池上、石川町、鵜の木、大森中、大森本町、大森東、大森西、大森南、大森北、蒲田、蒲田本町、上池台、北糀谷、北千束、北馬込、北嶺町、久が原、京浜島、山王、下丸子、城南島、昭和島、新蒲田、多摩川、千鳥、中央、田園調布、田園調布本町、田園調布南、東海、仲池上、中馬込、仲六郷、西蒲田、西糀谷、西馬込、西嶺町、西六郷、萩中、羽田、羽田旭町、羽田空港、東蒲田、東糀谷、東馬込、東嶺町、東矢口、東雪谷、東六郷、ふるさとの浜辺公園、平和島、平和の森公園、本羽田、南蒲田、南久が原、南千束、南馬込、南雪谷、南六郷、矢口、雪谷大塚町
大田区区民生活課調べでは2006年4月時点で215の自治会、町会がある。
大田区戸籍住民課調べでは2006年1月時点で面積が最大の町は羽田空港三丁目(8.59平方Km)、埋立地を除外すると西六郷四丁目(0.63平方Km)、面積が最小の町はふるさとの浜辺公園(0.03平方Km)、非居住地区を除外すると東馬込二丁目(0.08平方Km)である。
大田区戸籍住民課調べでは2006年1月時点で登録人口が0人の町は平和島一丁目、平和島六丁目、昭和島全域、平和の森公園、京浜島全域、東海三丁目を除く東海地域、城南島全域、羽田空港一丁目を除く羽田空港地域、ふるさとの浜辺公園。登録人口が最大の町は下丸子二丁目(9632人)である。

世田谷区

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世田谷区(せたがやく)は、東京都の特別区のひとつ。

特別区(23区)の南西部に位置する。

東京23区で面積2位、人口1位。

東京都の内、特別区(23区)の南西部に位置し、住宅地として知られる。神奈川県と接する南側には多摩川が流れ、多摩川が概ね都県境を構成する。都心から放射状に鉄道が通り、鉄道間の連絡や、各駅と住宅地を結ぶようにバス路線が走る。区北部は道路網が狭隘で非常に入り組み交通網の発達が十分とはいえない地域となっている。

地形的には大部分が武蔵野台地の内、南部(多摩川の段丘上)に位置し、地形の起伏が多い。南部は多摩川に沿い、区内他地域と比べて全体的に土地が低い。多摩川の段丘の斜面の連なりを国分寺崖線と言い、区ではその一帯を「みどりの生命線」と呼ぶ。

区は世田谷、北沢、玉川、砧、烏山の5つの地域に分けられている。各地域に行政機構の一部として総合支所が置かれる。

人口は都内第一位で、多くを住宅地が占める。二子玉川、三軒茶屋、下北沢などの商業地域や、成城、岡本、上野毛、等々力などの国分寺崖線沿いの高級住宅街等が有名で、等々力渓谷をはじめ自然が多く、林や公園などが多く存在する。

世田谷区の人口は2007年5月現在、東京23区中で最多の85万人超である。政令指定都市の法定人口要件である50万人を上回り、市町村合併による政令指定都市指定の人口要件とされる70万人をも超え、この要件によって政令指定都市化された堺市、静岡市、新潟市、浜松市の人口を超える規模である。

渋谷区から神奈川県にかけて国道246号(通称玉川通り)が東西を横断、都道の環七通りが南北に縦断。これら主要道路の内側を網の目のようにバス路線が設定されている。段差の少ないノンステップバスを多く導入する等、公共交通の確保と高齢化対策を図っている。赤堤通りなど狭隘な道路にもバスが走っており、交通渋滞の原因にもなっている。

渋谷区

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渋谷区(しぶやく)は東京都の特別区の一つ。23区の中央やや西よりに位置する。

渋谷区は、国道246号が通っている南部と、甲州街道が通っている北部に大きく分けることができる。南部と北部で街並みが若干異なる部分があるので、分けて説明する。

渋谷駅周辺
東急グループの拠点であり、商業活動が盛ん。渋谷駅ハチ公口側に百貨店やファッション専門店、飲食店、カフェ、遊戯施設や風俗施設などが密集しており、センター街、道玄坂、パルコ、109などの定番スポットも多い。
神宮前・表参道
街路樹が立ち並ぶ表参道沿いには有名ブティックが軒を連ね、また、美容院街でもあり、ファッションに敏感な人々が多く集まる。2006年には、新しい商業施設「表参道ヒルズ」もオープンした。参道の先には明治神宮があり、年末年始の参拝客は日本一である。
代官山
代官山は表参道と並んでファッションタウンであり、旧山手通り沿いなどには、和洋中の有名レストランも数多い。
恵比寿
恵比寿はもともとは下町であったが、JR山手線沿線で通勤に便利な立地であることから、近年は駅周辺にオフィスビルが増え、日中はビジネスマンで賑わっている。サッポロビール工場跡地に建設された恵比寿ガーデンプレイスは、オフィス棟と商業棟、居住棟の複合大型施設となっている。
神泉町・渋谷区渋谷
ともに、渋谷の駅から坂を上ったところにある。「ビットバレー」と呼ばれ、IT関連の一大ビジネス街となっている。
渋谷区南部の住宅地
渋谷区南部にある住宅地は、一般に高級住宅地として名高い。例えば、松濤・神山町・南平台町・広尾などは、渋谷区の中でも一段と地価が高い地域である。

忠犬ハチ公像
モヤイ像
明治神宮
代々木公園 - 戦前の旧陸軍代々木練兵場、GHQ占領時の米軍宿舎「ワシントンハイツ」、東京オリンピック時の選手村を経て現在の公園となった。
国立代々木競技場
NHK放送センター
NHKスタジオパーク
渋谷公園通り
渋谷センター街
スペイン坂
道玄坂
宮益坂
表参道
恵比寿ガーデンプレイス
原宿
代官山
渋谷川(上流の河骨川が唱歌「春の小川」のモデル) 
宮下公園
うぐいす住宅
新宿御苑(隣接する新宿区とほぼ公園面積を二分する。)

NHKホール
渋谷マークシティ
Q-FRONT
SHIBUYA109
表参道ヒルズ
ラフォーレ原宿
Bunkamura
セルリアンタワー
渋谷クロスタワー
新国立劇場
恵比寿ガーデンプレイス
渋谷C.C.Lemonホール(通称。正式名称は渋谷公会堂)
SHIBUYA-AX
タカシマヤタイムズスクエア(JR新宿駅新南口付近にある。)
新宿サザンテラス(JR新宿駅南口にある商業地区。小田急サザンテラス。)

中野区

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中野区は、東京23区の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角に位置する。区内には、鉄道が数多く通っているため、東京23区内のベッドタウンとして発達してきた。

産業は、江戸期においては、畑作を中心とする近郊農業と、製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年の関東大震災以降は、住宅地化が急速に進み、昭和40年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工業化もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はなく、密集した住宅地としての性格が強い。住宅と同様に明治以降、都心から移転してきた寺が多く、また、区に隣接する落合斎場との相乗効果もあり、葬祭関連の産業もみられる。その他商業、企業のオフィス街としての発展は、第二次世界大戦以降それなりにあったが、中野区は東京都でも指折りの住宅密集地区であり、道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心、副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また、昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画・アニメーション製作は、隣接する杉並区と並んで盛んである。近年、中野坂上地区の再開発により、超高層ビルも立つようになり、コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきている。

人口密度は20,067人/km²(2004年10月1日推計)で日本一(2位は東京都豊島区19,278人/km²。以下大阪市城東区、大阪市西成区の順。市では埼玉県蕨市13,799人/km²が最高。)。蕨市が人口密度日本一とされるのは、東京特別区を1都市とした場合である。

道路率は12.9%で23区中22位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位と、道路都市基盤が脆弱なのが中野区の特徴である。また、公園面積率は2.1%でこれも23区中22位。公園や緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。

地域
南台
弥生町
本町
中央
東中野 中野
新井
沼袋
松が丘
江原町 江古田
丸山
野方
大和町
上高田 若宮
白鷺
鷺宮

杉並区

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城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目。かつては水田などがあり、自然が豊富な近郊住宅地域として発展してきた。全体的になだらかな高台地域。神田川・善福寺川沿いの低地にも勾配のきつい坂をはない。

大宮一丁目にある大宮八幡近辺が東京都全体の人口重心となっている。

明治大学一帯は江戸幕府焔硝蔵。

河川
神田川
善福寺川
妙正寺川

2007年春の東京都地域防災計画に基づき、2007年度中に杉並区地域防災計画が改訂される予定である。杉並区は「安全・安心の町作り」を標榜するものの、他の市区町村と同様に、大震災時の対策は心もとない状況にある。 中央線沿線の高円寺、阿佐ヶ谷などには木造家屋が密集しており、空中消火の駆使を念頭に置いていない現消防体制では、首都直下地震発生時、区内建物の三分の一(3万棟以上)が焼失すると予想されている。

知る区ロード − 区内を巡る全長36kmの散策路で、区内の史跡や産業のPRのために1988年に既存の道路を利用する形で定められた。年に一度、区内の小学生らを集めて路上を散策するイベント(知る区ロード探検隊)が開催される。
すぎ丸君 − 知る区ロード探検隊のマスコットキャラクター。区の木である杉の木をモチーフにしている。1989年誕生。知る区ロード上のマンホールなどで見られる。なお、同名のコミュニティバス(すぎ丸)もある。
杉並戦隊イレンジャー − マイバッグ運動推進のために日夜活動する変身ヒーロー。広報ビデオや区のイベントでその姿が見られる。
環境派天使(エコロジーエンジェル) スギナ☆ミライ - マイバック運動推進、環境保護活動のために活躍する変身ヒロイン。イレンジャーの続編として作られた。
育て!杉苗債 − 道路建設のために発行した区債の愛称。額面100円。償還3年。杉の苗を貰える訳ではない。
桃園川 − 現在は暗渠化され遊歩道。(青梅街道から東に中野区まで続く地上部分は「桃園川緑道」として整備され緑あふれる遊歩道になっている)
レジ袋税 − すぎなみ環境目的税として一部実験が行われている。
ガーデンゴルフ - パターゴルフの一種。杉並区が発祥の地である。

豊島区

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東京23区の西北部に位置する。池袋駅を中心とする副都心を擁し、高級住宅地の目白や、おばあちゃんの原宿として知られる巣鴨、立教大学、学習院大学、東京音楽大学、帝京平成大学、大正大学などがある。多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園や、慈眼寺、染井霊園などもある。

日本の国花であるサクラの代表品種、ソメイヨシノは、現在の豊島区駒込(旧染井村)が発祥。

武蔵国豊島郡(現在の東京23区の北西部の広い地域の古い地名)。北豊島郡にあった4つの町が合併して東京市に編入されるときに、この名前が採用された。苗字としてある「とよしま」と誤読する人が見受けられるが、関係はないと思われる。

池袋(いけぶくろ)
(170-0014,171-0014) 池袋駅の北西の地域。いわゆる「池袋」の中心街ではない。
池袋本町(いけぶくろほんちょう)
(170-0011) 北池袋駅と下板橋駅がある。池袋のだいぶはずれといった様子の住宅街。
要町(かなめちょう)
(171-0043) 要町駅から千川駅にかけての地域。要町通り沿いの地域。
上池袋(かみいけぶくろ)
(170-0012) 北池袋駅の東側の地域。明治通りが通る。
北大塚(きたおおつか)
(170-0004) 大塚駅の北の地域。
駒込(こまごめ)
(170-0003) 区の最も東側、駒込駅の周辺の地域。桜のソメイヨシノ発祥の地。
巣鴨(すがも)
(170-0002) 巣鴨駅の北西の広い地域。国道17号が通る。有名なとげぬき地蔵はここにある。
千川(せんかわ)
(171-0041) 千川駅のやや北側の住宅街。
雑司が谷(ぞうしがや)
(171-0032) 池袋の南側にある地域。鬼子母神がある。
高田(たかだ)
(171-0033) 高田馬場駅の北東の地域。
高松(たかまつ)
(171-0042) 板橋区と接している。住宅街の形成が豊島区一と言われている。
千早(ちはや)
(171-0044) 千川駅~要町駅の南側の地域。
長崎(ながさき)
(171-0051) 西武池袋線の北側。線路の反対側は南長崎。
西池袋(にしいけぶくろ)
(171-0021) 池袋駅西口付近は繁華街池袋の一部。他は住宅街。
西巣鴨(にしすがも)
(170-0001) 大塚駅から北へ少し行った地域。西巣鴨駅がある。
東池袋(ひがしいけぶくろ)
(170-0013) 池袋駅東口。繁華街池袋の一部。サンシャインシティなどがある。
南池袋(みなみいけぶくろ)
(171-0022) 池袋駅東口。繁華街池袋の一部。雑司が谷霊園がある。
南大塚(みなみおおつか)
(170-0005) 大塚駅の南側の地域。
南長崎(みなみながさき)
(171-0052) 西武池袋線の南側。線路の反対側は長崎。
目白(めじろ)
(171-0031) 目白駅周辺の広い地域。学習院大学がある。

北区

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東京都区部の最北に位置し、東西に約2.9km 南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。

北は荒川放水路を隔てて埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区、隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区、南は文京区、豊島区に接する。

明治通り、環七通り、中山道という幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。 また、JRの駅数が23区中で最も多く、区内の殆どの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。

1996年4月3日制定 北区側によれば、「さくら」の花びらで北区のイニシャル「K」をデザインしたもので、「花いっぱいの北区」をイメージした。北区のイメージを明るいさくら色に転換させるものである。また輪のつながりは「交通」のネットワーク、そして区民、企業、区を訪れる人々と区のコミュニケーションや交流を表し、さらに、さくらの開花は、春の生命の息吹、「誕生」や出発をイメージさせる。なお、「さくら」「K」とも世界中の人々にわかりやすく、国際的なデザインといえる、という。

篠原演芸場
北区つかこうへい劇団
北区指定無形民俗文化財
王子田楽(王子神社)
稲付の餅つき唄(道灌山稲荷社)
熊野神社の白酒祭(オビシャ行事)
北区のうた(作詞:井関謙、作曲:團囲玖麿)
日本女子プロ将棋協会

荒川区

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東京都の北東部に位置する。東西に細長く、北側の区境は隅田川に一致する。

荒川と隅田川の関係は歴史の項を参照せよ。

江戸時代は農村だったが、明治時代から荒川の水を使うために多くの工場が建設され、工業化が進んだ。

1932年10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が合併し、東京市荒川区が発足。(区の発足から1945年ごろまで、東京市内で最も人口の多い区であった。当時の人口はおよそ28~32万人。)

1947年5月3日、地方自治法が施行され、荒川区は特別区となった。

娯楽施設
あらかわ遊園 - 隅田川沿いに位置する
荒川区スポーツセンター - かつて同地に東京球場があり、大毎→東京→ロッテオリオンズが1962年-1972年に本拠地として使用した。しかし親会社・大映の経営破たんにより球場の運営会社も清算、閉鎖された。
大黒湯-南千住5丁目の路地の奥にある質素な造りの銭湯。浴槽の種類は豊富で一番奥にモザイク画あり。日替わりの薬湯が名物。

板橋区

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板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。

特別区部(23区)の北西部に位置する。 現在では全域が市街地になっている。

また医療機関が多いことで知られる。

概要
武蔵野台地の北端にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。北で荒川、北西で白子川によって埼玉県と接する。荒川に近い北部では、新河岸川が西から東に流れる。南部では石神井川が西から東に横切る。区内は東京の市街地で、住宅地・商業地のほか、北部には工場が多い。
位置・面積
板橋区は、東京23区のうち北西部に位置し、東経139度37分から同44分、北緯35度43分から同48分の間にあり、面積は32.170km²で、23区中9番目である。
地形・地質
地形
東西は北部で約7.1km、南部で約4.5km、南北は東部で約6.7km、西部で約3.4kmあり、南東から北西に長い地形。

地質
当区の高台は武蔵野台地の一部(平均海抜30m²前後)。
この台地は数万年前、古い荒川や多摩川などが流れるはんらん原。武蔵野(成増)礫層の砂利は当時の川が積み残した川砂利である。その後、川の流れはこのはんらん原を掘り下げ、今の荒川や多摩川に、とり残された部分に富士山などの火山灰(関東ローム層)がたい積し、今日の台地をつくるに至った。また礫層の下の地層から貝化石がみつかっているが、これは15万年前の東京層のもので、この層がかつて海の底であったことを物語っている。成増礫層は地質学者の間でも有名な礫層である。
河川: 荒川、新河岸川、白子川、石神井川
湖沼: 浮間ヶ池

おおむね旧板橋町、旧上板橋村、旧志村、旧赤塚村の4地区に分かれる。旧赤塚村地区は埼玉県南部とともに近郊の風景を残している。区では赤塚に支所を設け利便を図っている。しかし区が南北に分かれてしまい、行事も板橋区民祭り・板橋農業祭りと二本立てになっている。

相生町
赤塚
赤塚新町
小豆沢
泉町
板橋
稲荷台
大原町
大谷口
大谷口上町 大谷口北町
大山金井町
大山東町
大山西町
大山町
加賀
上板橋
熊野町
小茂根
幸町 栄町
坂下
桜川
清水町
志村
新河岸
大門
高島平
東新町
常盤台 徳丸
中板橋
仲宿
中台
仲町
中丸町
成増
西台
蓮沼町
蓮根 氷川町
東坂下
東山町
富士見町
双葉町
舟渡
本町
前野町
三園
南町
南常盤台 宮本町
向原
大和町
弥生町
四葉

練馬区

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練馬区(ねりまく)は、東京都の特別区のひとつ。

東京23区の中ではもっとも新しく、1932年に東京市に編入されて板橋区の一部とされた旧北豊島郡練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の区域が1947年8月1日に分離して発足した。          
練馬区は、日本の劇場長編アニメ、モノクロテレビアニメ・(長期間の)カラーテレビアニメシリーズの発祥地であり、日本一のアニメ関連企業の集積地である。 遊園地「としまえん」は本区にある。 人口は約70万人で、23区の中で世田谷区に次いで2番目に多い。

23区の北西に位置する。区内全域が武蔵野台地に属する。埼玉県南部と共に未だにのどかな風景を残している。河川は石神井川と白子川が中心で土地の高低差は小さい。

北西には埼玉県新座市に囲まれた飛地(西大泉町1179番地)がある。(区としてはこの飛地を埼玉県へ編入する方向で調整しているが、住民は反対している。)

旧東京市内では新宿区戸山の箱根山が最高標高地点であるが、現在の特別区内では石神井消防署付近が最高地点である。

旭丘
旭町
大泉学園町
大泉町
春日町
上石神井
上石神井南町
北町
向山
小竹町
栄町
桜台
下石神井
石神井台
石神井町
関町東
関町南
関町北
高野台
高松
田柄
立野町
土支田
豊玉上
豊玉中
豊玉南
豊玉北
中村
中村南
中村北
西大泉
西大泉町

貫井
練馬
羽沢
早宮
光が丘
氷川台
東大泉
富士見台
平和台
南大泉
南田中
三原台

「練馬」の由来
練馬区のウェブサイトには以下の説が掲載されている。

関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった。
石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった。
奈良時代、武蔵国にあった「のりぬま(乗潴)」という宿駅が「ねりま」に訛化した。(但し、あまぬまと読み、現在の杉並区天沼に比定する説もある。)
中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がいた(馬を馴らすことを「ねる」と言った。すなわち「練り馬」)。
他にも諸説存在する。

日本アニメ発祥の地
練馬区は、日本初の長編劇場アニメ白蛇伝が製作された日本アニメ発祥地であり、1963年に日本初のテレビアニメシリーズ鉄腕アトム(モノクロ)、1965年に日本初の(長期間の)フルカラーテレビアニメシリーズジャングル大帝が生まれた、テレビアニメの発祥地でもある。
他にも、リボンの騎士、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、キャプテンハーロック、ドラえもん、サイボーグ009、うる星やつら、らんま1/2、課長島耕作、めぞん一刻、キャンディ・キャンディ、バビル二世、あしたのジョー、タッチ、みゆき、キテレツ大百科、ルパン3世、日本昔話、まいっちんぐマチコ先生、金田一少年の事件簿、ドラゴンボールZ、ふたりはプリキュア等など、無数の作品が制作されたり、またその舞台になった。
風の谷のナウシカ(東映系映画館で全国ロードショー、徳間書店・博報堂など製作、スタジオジブリ製・制作ではないので注意)やスタジオジブリ作品、エヴァンゲリオン、ポケットモンスター等に下請け等の形で関わったアニメプロダクションも多い。
また練馬区は、手塚治虫、赤塚不二夫、松本零士、古谷三敏、ちばてつや、藤子不二雄、萩尾望都、竹宮恵子、(大泉サロンも参照)、弘兼憲史、柴門ふみなど、多くの有名・無名の漫画家も永住、または一時的に居住した事があり、漫画作品も数多く作られている。

足立区

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足立区(あだちく)は東京都の特別区のひとつ。

東京都の北部に位置し、隅田川と荒川に挟まれた地区と、面積の大半を占める荒川以北の地区とに別れている。

南東の荒川南岸に位置する千住地区は、江戸時代には日光街道の宿場であり、現在はターミナル駅である北千住駅を擁する区内随一の繁華街となった。

区名は足立区成立以前のこの地域の郡名である南足立郡からとったものである。足立区はそれ以前の足立郡の領域の中心とは大きく外れた南東端に位置している。

区立学校の特色
五反野小学校は、地域、保護者、学校の3者による「学校理事会」が運営方針を協議する「コミュニティスクール」に指定された。教員公募制を2005年度から実施するなど先駆的な取り組みを行っている。
興本小学校と扇中学校は、2006年度より小中一貫教育校として9年間教育を行う公立学校「興本扇学園」となった。

足立区を舞台とする作品
3年B組金八先生 - 主に東京都区立桜中学校(架空)を舞台とする。ロケは、校舎に足立区立第二中学校が使われるなど、北千住周辺で行われる。第二中学校は2004年度をもって廃校となったが、跡地が未来技術大学(仮称)として存続する。
足立二中は廃校になった後もしばらくはそのままの状態で残っており、もんじゃろ学園物語やコブクロの「桜」のPVでもロケ地として使用された。
あずきちゃん - 原作漫画において北千住駅近くの「千住ほんちょう公園」が登場。

葛飾区

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葛飾区(かつしかく)は東京都の特別区のひとつ。

区内には、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで知られる柴又帝釈天や、江戸期の菖蒲文化を伝える堀切菖蒲園、秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名になった亀有(実際に過去(大正時代)には存在して居たが、現在は派出所は無い)がある。葛飾の地名は非常に古く、奈良時代に作成された戸籍帳の中ですでに確認される。

葛飾の名称は現在の葛飾区の地域固有のものではなく、葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。この場合の「葛飾」とは、中央付近を概ね現在の千葉県市川市付近とし、北を埼玉県北葛飾郡、西を現在の東京都葛飾区や墨田区付近、東を現在の茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場している。

なお現在の葛飾区一帯や江戸川区の付近は近世まで「葛西(葛飾西)」の名称で呼ばれていた地域であり、現在も東西線「葛西駅」、湾岸線「葛西ジャンクション」、「葛西臨海公園」、警視庁葛西警察署等にその名が残る。なお明治維新直後には、千葉県市川市から船橋市一帯に新行政庁として「葛飾県」が設置されたこともある。(詳細は葛飾郡参照)

現在の東京都葛飾区以外に「かつしか」「葛飾」の全部または一部の名が付いた地名等が数多いのは、こうして本来「葛飾」と呼ばれた地域が非常に広大であったためである。また、「葛飾」のほぼ中央付近に位置している、現在の京成電鉄京成西船駅(千葉県船橋市)は、1987年まで「葛飾駅」の名称を使用していたほか(現在も駅名下には「旧葛飾駅」の表記があるほか、JR西船橋駅南東側の町名は現在も「葛飾町」である)、この周辺に点在する学校等施設はいずれも「葛飾幼稚園」「葛飾小学校」「葛飾中学校」など、「葛飾」の名をそのまま現在も冠している。また、JR総武線「本八幡駅(もとやわたえき)」の語源にもなっている神社「葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)」(千葉県市川市)など、葛飾の名を冠したものは、実は現在の葛飾区よりも、「本来の葛飾」の中央付近だった千葉県北西部に多い。

江戸川区

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江戸川区(えどがわく)は東京都の特別区のひとつ。

地名は、区の東側を南北に流れる江戸川にちなむ。総面積は49.86km²で、23区では4番目に広い。23区では最も東に位置する。はじめ区名としては「松江区」が検討されていたが、松江の名前があまり知られていなかったことと、反対する町村が出たことから、区の東部を流れる江戸川にちなんで命名された。

病院
2002年(平成14年)4月、臨海町に日本私立学校振興・共済事業団東京臨海病院が開設されるまで区内には大きな病院がなかった。そのため、都県境を超えて浦安市にある順天堂大学附属 順天堂浦安病院や市川市にある東京歯科大学市川総合病院などに搬送されていた。(これは、江戸川区の医師会が大きな病院に拒否反応を示したことが原因といわれている)

交通網
江戸川区では放射状の鉄道交通が発達しているものの、環状交通が発達しておらず、近隣の葛飾区・浦安市などと共通の課題となっている。それに対応して、2007年4月から2008年3月までの1年間の予定で、区内各鉄道路線を南北に結ぶ急行バス「環七シャトル」が試験運行されている。運行区間は亀有駅(葛飾区)あるいはJR小岩駅~一之江駅~葛西駅~葛西臨海公園駅~東京ディズニーリゾート(浦安市)で、運行は京成バスに委託されている。

江戸川区を舞台とする作品
哀愁の町に霧が降るのだ - 椎名誠の自伝的小説。江戸川区の小岩が舞台。アパート「克美荘」の同居人の木村晋介(弁護士)、沢野ひとし(イラストレーター)、など、と繰り広げられる青春物語。
ラブロマ-作者である とよ田みのるが住んでいる江戸川区の江戸川周辺をモデルとした町で繰り広げられる純愛ラブコメディー漫画。
ひぐらしのなく頃に - 物語の舞台となる雛見沢村に登場する地名が、興宮、鹿骨、谷河内など江戸川区内の町名である。
映画「デスノート」 - 江戸川区船堀警察署と言う名の警察署が出てくる。が、この船堀警察署は実在しない。

下北沢

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下北沢(しもきたざわ)は、東京都世田谷区の北東部に位置する地域名。概ね同区北沢の全域と代沢の一部あたりを指す。略して下北(しもきた)とも呼ばれる。

町名としての北沢(きたざわ)は、一丁目から五丁目まで存在する。同地区の人口は、17,726人(2007年10月1日現在、住民基本台帳による。世田谷区調べ)である。

北に渋谷区笹塚、幡ケ谷、東に同区大山、上原、目黒区駒場、等、南に世田谷区池尻、太子堂、西に同区代田、大原に接する。

鉄道は、下北沢駅(小田急線、井の頭線)の他に東北沢駅(小田急線)、池ノ上駅(井の頭線)が設けられている。

道路は、茶沢通りの他に、東京都道420号鮫洲大山線、井の頭通りが通るものの自動車は元より休日には自転車の相互通行もままならないような巾員2m程度の狭小路地が多く、下北沢駅前の商店街などでは安全上の問題も指摘されている。

河川は北沢川が西から東に流れ、さらに、北沢川に合流する幾つかの小川・水路等が一部で起伏のある地形を形成し、下北沢駅は「支流」が形成する谷に位置している。下北沢の殆んどが北沢川の流域にあたる(参考:東京都HP他)。他に、玉川上水の水路が笹塚との境界付近を概ね北西から幡ヶ谷方面に向けて通る。ただ、これらの河川等は昭和時代までにほぼ暗渠化され、遊歩道の敷地などとなっている。さらに、かつては、当地区北部で三田用水が玉川上水から分水され、大山町、上原との境界に沿って流れていたが、暗渠化の後に廃止されている(参考:旧版地図、他)。玉川上水の水路は、現在はほぼ暗渠化され、遊歩道として整備されている。

東北沢駅や池ノ上駅は、谷に狭まれた台地状の地形に位置する。なお、この起伏は、井の頭線の車窓からもよく見える。

メディアで取り上げられ続けている下北沢駅前のイメージが強いが、それ以外の東北沢駅、池ノ上駅の駅前などに近隣商業または路線商業地域が形成されているものの、その他は概ね住宅地で、中小規模の共同住宅、木造等の戸建住宅が多い。小田急線および井の頭線の利用で新宿・渋谷へ十数分でアクセスでき利便性が高い。かつて佐藤栄作-竹下登邸(代沢)もあった閑静な住宅地の区域もある。

テレビ・雑誌等で三軒茶屋・自由が丘・中目黒・代官山等と並んで若者の街・ファッションの街に加えて小劇場の求心的な地域として紹介されることが多い。新しい店舗の多くは最近のメディア等で集まる客を相手にし、昔ながらの店舗は比較的庶民的な構えのまま残り、新旧が混在している雑多な街である。明治大学和泉キャンパス・東京大学駒場キャンパスなどが近いため、学生も多い。

下北沢駅は小高い丘を挟んで位置し南口は低く、西口周辺は高い位置にあり、狭隘な街路が入り組むといった地域特性から周辺住民を対象とした雑貨屋・古着屋・生地屋等が古くから存在し、コットン・タウンと呼ばれ脚光を浴びた時期もある。いくつかの店舗名にコットンを付けたものがあることで当時の名残りが偲ばれる。また北口の駅前には下北沢北口駅前食品市場という戦後の闇市の名残の場所がある。

狭い公共スペースともあいまって繁華性が目立つ一方で、渋谷の吸引力、街なみの整備の進む周辺の商店街(三軒茶屋、笹塚、他)との競争に直面している。たとえば、北部の北沢五丁目は、笹塚駅が近いこともあり、以前から笹塚の商圏といえる部分が大きく、「井の頭通りで隔てられたあそこは下北沢ではない」とかいった声も上がり、下記の街づくりへの反対運動にも結びついている。

商業地域は、それより前からある小田急線の線路で概ね区分される状態で、複数の商店街組織がある。

* 下北沢一番街
* しもきた商店街
* 下北沢東会
* 下北沢南口商店街
* 下北沢南口ピュアロード新栄商店会
* 代沢通り共栄会

街並みの状態、下北沢に警察署がないこと(交番はある)等が、却って商店街レベルでの防犯への危機感につながってきている面もある。パチンコ、北沢八幡宮例大祭での露天からの暴力団排除、近年では、落書き消去・防止の活動に力を入れている商店街もある。落書き消去は、東京周辺等の他地域の商店街からも注目され、たびたび報道でも取り上げられている(参考:平成4年警察白書、北沢八幡宮、他)。

元々東京府(武蔵国)荏原郡下北沢村であり、世田ヶ谷町への合併を経て世田谷区北沢・代沢になった。概ね現在の北沢一丁目~五丁目及び代沢二丁目、三丁目、五丁目並びに代沢四丁目の北東部及び代田五丁目、六丁目の東側ごく一部が旧下北沢村に該当する。

なお、代沢には、下北沢=旧北沢の一部以外に、代田の飛び地「下代田」等(概ね現:四丁目の一部、一丁目に相当)が編入された(「代沢」の地名はこれらに由来する)。

元々の中心は現在の代沢三丁目、五丁目付近、北沢八幡宮、森巖寺・淡島神社分社や代沢小学校のある辺りであり、明治時代の旧版地図には「下北澤本村」の文字が見られるものもある。今も茶沢通り沿いに商業地域が形成されている。なお、同神社の例大祭は、今も当地区最大級のイベントである(村開墾時代についても含めた詳細は代沢、北沢八幡宮参照)。

自由が丘

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自由が丘(じゆうがおか)は、東京都目黒区の一地区。自由が丘一丁目から三丁目まで存在する。

また、東急東横線と東急大井町線の交差する自由が丘駅を中心として目黒区自由が丘と世田谷区奥沢に広がる住商業地域が、一般に自由が丘地域として認識されることが多い。

レストランが住宅街のところどころに点在し、洗練された街並みを形成している。また雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として上位に名を連ねることが多く、最近はしばしば1位に選ばれており[要出典]、城南地区を代表する住宅街でもある。ラ・ヴィータというイタリア系の家をモチーフにした店により、北側は洋風の家が目立つ。

自由が丘駅正面口ロータリーに立つ女神像(澤田政廣作)にちなんだ「自由が丘女神まつり」が毎年10月に開催される。

自由が丘駅周辺を循環する無料バスは菜種油により走るもので、環境にやさしいバスとして注目を浴びている。

自由が丘二丁目、自由が丘三丁目には丘が多い。これは、自由が丘の南に九品仏川があり、そこへ流れていた雨水が削っていったためである。

自由が丘の名は戦前に起こったもので、自由ヶ丘学園に由来する。自由が丘一帯は、もとは東京府荏原郡衾村字谷畑といった。1927年、この地に手塚岸衛が自由ヶ丘学園を開設した。

この校名は当地の地名として定着し、碑衾町(旧衾村と碑文谷町が合併)大字自由ヶ丘となり、1932年(昭和7年)の東京市域拡張による目黒区成立時(目黒町と碑衾町が合併)に東京市目黒区自由ヶ丘となったものである。

付近に、東京横浜電鉄九品仏前駅(現・東急東横線自由が丘駅)があったが、東急大井町線の延伸により九品仏の門前に駅が開設されることになり、この新駅が九品仏駅を名乗ることになったことから、九品仏前駅は、地名より衾駅に改称することとなったが、直前に地名が変更になったため新しい地名を採り「自由ヶ丘駅」と改称した。

1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、表記は「自由が丘」となった。翌年1966年(昭和41年)には、駅名も「自由が丘駅」に改称されている。

自由が丘は東急東横線が開通するまでは竹やぶだったが、東急グループが開発をしていった。1970年ごろには町の形がほぼ整ったが、住宅街には木が多く、また、熊野神社に竹やぶの一部が残っている。

* 自由が丘駅
* 自由ヶ丘学園高等学校
* 自由が丘産能短期大学
* 東京急行電鉄
* ランキンランキン
* トレインチ自由が丘
* 自由が丘スイーツフォレスト
* 東急バス目黒営業所
* シェルガーデン
* 亀屋万年堂

目黒地域: 青葉台 | 大橋 | 上目黒 | 五本木 | 駒場 | 下目黒 | 中町 | 中目黒 | 東山 | 三田 | 目黒 | 祐天寺
碑衾地域: 大岡山 | 柿の木坂 | 自由が丘 | 洗足 | 平町 | 鷹番 | 中央町 | 中根 | 原町 | 東が丘 | 碑文谷 | 緑が丘 | 南 | 目黒本町 | 八雲

代官山

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代官山町(だいかんやまちょう)は、東京都渋谷区の地名。単独で住居表示を行っている。東急東横線の代官山駅があり、単に代官山(だいかんやま)と呼ばれることが多い。地理的には、旧山手通りと駒沢通りの交差点である鎗ヶ崎に近い。

高級ブティックや高級菓子店が多い点では、青山や表参道と共通しているが、東京の都心から外れており、雑多で猥雑な商店街や飲食店が少ないため、落ち着いた雰囲気であり、隠れ家的な街となっている。

また、閑静な住宅街でもあり、住みたい街のアンケートでしばしば上位にランクインする。建築家の槇文彦によるヒルサイドテラスは、モダニズム建築におけるまちづくりの最高例とされ、槇のプリツカー賞受賞理由の一つとされている。また、駅前には代官山アドレスがあり、住居棟であるザ・タワーは代官山のランドマークとしてそびえ立つ。ここはかつての旧同潤会 渋谷アパートメント跡地に建設されたものである。

赤坂

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赤坂(あかさか)は日本の地名または苗字。地名としての赤坂は日本各地に分布している。苗字としての赤坂は、赤坂地名に発祥しており、例えば陸奥国白河郡石川荘赤坂に発祥した赤坂氏(石川氏庶流)などがある。

各地の赤坂地名は、赤土の坂に由来すると解されている。このほか急な「上がり坂」がアカサカへ転訛したとする説などがある。赤坂地名は傾斜地や丘陵端にあることが多い。

赤坂地名は古くから現れており、早くは奈良時代中期の「平城京出土木簡」に備後国沼隈郡赤坂(現:広島県福山市赤坂)が、『続日本紀』に伊勢国鈴鹿郡赤坂(赤坂頓宮)の記事がそれぞれ見え、平安時代中期の『延喜式』『和名抄』には備前国赤坂郡と備後国赤坂郷が見えている。鎌倉期に入ると、美濃国不破郡赤坂(→赤坂宿 (中山道)。現:岐阜県大垣市赤坂)、三河国宝飯郡赤坂(→赤坂宿 (東海道)。現:愛知県音羽町赤坂)、筑前国那珂郡赤坂(→赤坂 (福岡市)。現:福岡市中央区赤坂)などが史料に現れるようになり、その後、南北朝期、室町期、戦国期を通じて赤坂地名が史料上に多く検出されている。

赤坂地名のうち特に著名なのが東京都港区の赤坂(→赤坂 (東京都)現:東京都港区赤坂)である。東京の赤坂は中世以前には見られず、江戸初期に発祥したと考えられている。由来には、茜山への坂(現在の紀伊国坂)によるとする説、赤土の坂によるとする説などがあるが、寛永年間に建てられた江戸城の門が地元の小字から「赤坂御門」と呼ばれるようになり、ここから赤坂が一帯の地名になったと考えられている。

* 地名、宿場
o 赤坂 (東京都) - 東京都港区の一地区。TBS本社、アークヒルズなどがあるビジネス街。
+ 赤坂 - 赤坂と六本木の境界にある南部坂の別名。
o 赤坂宿 (東海道) - 東海道の江戸から数えて36番目の宿場。愛知県宝飯郡音羽町赤坂。
o 赤坂宿 (中山道) - 中山道の江戸から数えて58番目の宿場。岐阜県大垣市赤坂。
o 千早赤阪村 - 大阪府南河内郡千早赤阪村。
o 赤坂町 - 岡山県赤磐郡赤坂町(あかさかちょう、現赤磐市)。
o 赤坂 (福岡市) - 福岡市中央区にあるビジネス街。中央区役所などがある。繁華街天神の隣に位置する。

*
o 青森県黒石市赤坂
o 秋田県横手市赤坂
o 栃木県佐野市赤坂
o 群馬県吾妻郡中之条町赤坂
o 山梨県甲斐市赤坂台
o 長野県小諸市赤坂
o 福井県越前市赤坂
o 広島県福山市赤坂
o 福岡県北九州市小倉北区赤坂
o 福岡県飯塚市赤坂
o 佐賀県唐津市肥前町赤坂


* 日本人の姓の一つ。有名人は赤坂泰彦など。
o 人名一覧(赤坂)

青山

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青山(あおやま)は、東京都港区の地域名であり、その範囲は南青山一丁目~七丁目と北青山一丁目~三丁目である。「青山」という町名は(過去も含め)存在しない(ただし、青山を冠称する町名は過去に存在した)。

の重臣であった青山家の広大な屋敷にちなんで、この付近一帯の町名に青山を冠した(青山○○町)ことが地名の起こりである。

青山家の末裔には、骨董鑑定家青山二郎(1901年-1979年)やゲランミツコで有名なクーデンホーフ・ミツコ(1874年-1941年)がいる。現今ではブティック・美容室など服飾関係の商店が目立つ。

青山家が江戸時代中期に八幡藩(現岐阜県郡上市)を所領とした縁で、同家の菩提寺である南青山の梅窓院では、年に一度「郡上おどり in 青山」が催される。

1966年10月、住居表示実施に伴い町名と町域が変更され、この地区を横断する青山通りを境に北青山と南青山が誕生した。

この北青山一丁目~三丁目、南青山一丁目~七丁目の範囲は、住居表示実施前の青山北町と青山南町のほぼ全域と、同じく青山地区だった青山三筋町や青山高樹町を加えた範囲に相当する。(このほか、隣接する麻布笄町、麻布新龍土町、原宿一丁目、赤坂檜町、赤坂新坂町のごく一部の区画を編入した。)青山六軒町の東側と青山権田原町だけは元赤坂二丁目への編入となった。

この青山高樹町の名前は首都高速道路のインターチェンジ(高樹町出入口)などにその名を留めている。

* 表参道通り
o 表参道ヒルズ
* 明治神宮外苑
* 青山ブックセンター
* 青山ラミア
* アオヤマツイン
* フロムファースト
* フロラシオン青山
* 青山パラシオタワー
* 青山オーバルビル
* スパイラル
* 骨董通り
* 根津美術館
* 本田技研工業本社
* 伊藤忠商事本社
* 帝国データバンク本社
* 健康保険組合連合会(健保会館) 
* 青山墓地
* 青山斎場

秋葉原

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秋葉原(あきはばら、あきばはら)は、東京の秋葉原駅周辺、主として東京都千代田区外神田、神田佐久間町、神田花岡町、台東区秋葉原周辺を指す地域名である。電気街として、日本国内のみならず世界的に知られている。秋葉(あきば)・アキバの略称で呼ばれることも多い。

地理概念的に言う秋葉原とは、東は昭和通り、西は昌平橋通り、南は神田川、北は蔵前橋通りに囲まれた区域、すなわち東京都千代田区外神田・台東区秋葉原を指す(一般に言われる秋葉原はほとんど千代田区にあるが、1969年10月1日に秋葉原駅北端から北へ100メートル程の辺りの台東区側に「秋葉原」の町名が誕生した)。現在、一般的にアキバと言われる場合は秋葉原電気街を指す事が多いが、この場合は更に局限され、秋葉原駅を核として東限はJR線までの中央通り沿いを中心とした地域となる。

JR秋葉原駅には東西に総武本線、南北に東北本線(山手線・京浜東北線)が通る。秋葉原電気街は秋葉原駅から北西方向を中心としており、住所表示では電気街口前が外神田一丁目、その北の中央通り東側が四丁目、西側が三丁目。メイド喫茶集中地区は外神田三丁目となっている。

一般的には「世界の秋葉原電気街」という印象が強いが、「家電量販店がひしめき合っている」「家電品が安く買える」という意味での電気街は、近年徐々に衰退の方向にある。

「家電量販店がひしめき合っている」という点では、むしろ池袋や新宿の量販カメラ店などのほうが目立ち、しかも大型店舗が多く、便利に買い物が出来る。また、「家電品が安く買える」という意味でなら、都市郊外に多数立店する家電量販店チェーンのほうが安い場合も多くなっている。また在庫や店舗保持のコストがかからないネット商品の方が値段の安い場合が多く、秋葉原で商品を手にとって確かめ、実際の購入はネットで買う消費者が現れている。これに対抗しネットでの販売に力点を移し始めた店もある。

しかし、量販店が通常様々な理由により取り扱わない電子部品を扱う販売店(その殆どは戦後の闇市時代に創業した、1区画あたり2畳程度の広さの店舗で個人が経営している)は現在でも秋葉原駅近くの総武線ガード下を中心として根強く生き残っており、「秋葉原電気街」の源流は今もなお命脈を保っている。

電気系部品についての詳細は#電子部品を参照。

これら電気街とは別に、秋葉原では古くはハイファイオーディオやアマチュア無線の愛好家、近年ではパソコンマニアたちが集まるサブカルチャーマニアの街という側面が存在する。

20世紀末にはこれらのマニアよりも若者向けアニメ・ゲームマニアなどのいわゆるオタクが大挙して集う様になり、21世紀初頭からはマスコミに彼らの存在が頻繁に取り上げられるようになった事を機に街全体がホビーショップ化。この頃より「秋葉原電気街」は「オタクの街・アキバ」として広く知られる様になった。そのオタクの事を一般的には「アキバ系」と呼ばれる。各種グッズを目当てに押し寄せる人々の影響で、さながら観光地の様相も見せ始めた。

2005年8月24日のつくばエクスプレス開業とヨドバシカメラマルチメディアAkibaの開店はそれに拍車を掛け、最近はオタクでは無い普通の人々も身構えることなく、ごく普通に秋葉原を訪れる様になってきた。

しかし、マスコミの興味本位的な取り上げ方や、一般層が向ける奇異な目を嫌ったマニア、及び彼らを顧客とするショップの一部は、近年秋葉原を離れ、秋葉原ほどではないものの、各種グッズを扱う店が比較的多い中野ブロードウェイ周辺地域に流れる動きもある。また、女性向けのアニメ・ゲーム系グッズやコスプレ用品ショップ、ボーイズラブ系同人誌を扱うショップは、男性向けの同種の店が開店しはじめた当初こそいくつかみられたが、のち俗に「乙女ロード(オタク通り)」と呼ばれる、池袋・サンシャインシティ西側周辺地域に集中して出店する傾向が見られ、男性向けの店舗主体の秋葉原と棲み分ける格好になっている。

一方で、電気街口北側の駐車場跡(かつての神田市場の跡地)に、産学連携プロジェクトやオフィス機能などを持つ施設、「秋葉原クロスフィールド」が2005年に誕生し、ほぼ同時期にオープンしたヨドバシカメラマルチメディアAkibaと並び、それまでのアキバのイメージとは大きく異なる存在感を放っている。

PC(パソコン)関連商品についての詳細は#パソコン(PC)関連、ホビー系グッズについての詳細は#アニメ・ゲーム・同人誌関連を参照。

冷戦時代は高度な品質の電子部品を買い付けに来る東側社会主義国の外交官の存在などが噂されたこともある。

もともと電気街の前身は、軍放出のジャンク無線機や部品販売である。中古品販売業者も多い。店舗を構える業者もいるが、今だと、土日祝には露天やガレージでジャンク品販売業者を見ることができる。のぞいていく人も多い。ジャンク品の購入は、目利きができる人にとっては、秋葉原ならではの楽しみといえる。

近年、日本各地に郊外型の大規模中古品店舗(ハードオフなど)が増え、ジャンク品も扱われるようになってきたが、ことPC自作関連のジャンク品に関しては、秋葉原が質・量共に他の追随を許さない孤高の存在とされている。特に保守・組み込み系のジャンク扱い品は、日本でも秋葉原でしか滅多に扱われないことが多く、わざわざジャンク品を目的に秋葉原に来る人もいる。またジャンク関連の店舗は地区のあちこちに存在するため、目的のものを見つけるのは容易なようで難しいのが秋葉原のジャンク店舗である。

浅草

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浅草(あさくさ)は、東京都台東区の一地区。浅草一丁目から七丁目まで存在する。

元々は浅草寺を中心とする繁華街の俗称であり、また吾妻橋対岸の墨田区側も含めた地域、もしくは旧浅草区全体を指して浅草地域と認識されることもある。

戦前は東京随一の繁華街として栄えた。関東大震災と戦災で壊滅的な被害を受けたが、そのたびに目覚ましい復興をとげてきた。高度経済成長期以降は山手線沿線の新宿、池袋、渋谷などの発展により、東京を代表する繁華街としての地位はこれらの地区に譲ったが、現在も江戸情緒を感じさせる観光地として賑わっている。
アサヒビール本社ビル
アサヒビール本社ビル

古くからの浅草地区のランドマークとして浅草寺山門である雷門(かみなりもん)が知られるが、1990年代以降には吾妻橋対岸の墨田区本所にあるアサヒビール本社ビルもランドマークとして認知されつつある。

調理器具等の飲食店関連の用品を取り扱う合羽橋道具街など特殊な商店街なども存在する。

「吾妻鏡」の1181年(養和元年)の条に浅草の名が見える。古くから浅草寺の門前町として栄えていた。また江戸湊や品川湊と並んで、武蔵国の代表的な港である浅草の港が、石浜(現在の台東区橋場)や今津(現在の台東区今戸町)にあったとされる。

江戸時代には、明暦の大火(1657年)の頃、新吉原遊郭が。天保の改革(1841年)では遠山金四郎により、芝居小屋が浅草に移転してきた為、仲見世が発展し、後の一大繁華街となるきっかけになった。

明治時代には東京市15区の名前の一つに「浅草」が採用された。また浅草寺を中心とした地域を明治時代に公園化し東京初の都市公園である浅草公園となった。浅草公園を6つの区に分けたことから、浅草公園六区ともよばれた。なおこの言い方はその中で一番にぎやかだった地域である第六区のみを指す場合が多い。

明治時代に凌雲閣(通称十二階)などが建てられ、江戸以来の繁華街として新たに演芸場や芝居小屋等が建ち、東京庶民の歓楽街として知られるようになった。関東大震災以降の興行界は、松竹の進出が本格的となり戦前の昭和においては有楽町に進出した東宝と覇を争った。戦後は松竹歌劇団(SKD)の本拠地である国際劇場やロック座、フランス座などのストリップ興行で賑わった。

また、関東大震災後から第二次世界大戦前までに東武線及び地下鉄銀座線が乗り入れた。今は下町らしさを主とした観光地としての側面の方が大きくなってきている。

* 浅草芸能大賞
* 浅草御蔵
* 浅草紙
* 浅草文庫 - 江戸時代から明治時代にかけて昌平坂学問所の書物を保管した図書館。
* 浅草鉄銭 - 江戸幕府が浅草で鋳造した貨幣である。天保期のものは一文銭で、安政期のものは四文銭。
* ダン・ミセリ - 元巨人選手。解雇後に家族で観光をしたので有名。
* 新世界
* 凱旋門
* めぐりん - 台東区のコミュニティバス
* アニマル浜口 - 「アニマル浜口トレーニングジム」を開き、一般向けのフィットネスの他に、プロレスラー養成や浜口京子のようなアマチュア選手のトレーニングを受け持っている。TVに映る浜口京子の応援団は京子を子供の頃から知る浅草の人々である。
* ちい散歩 - テレビ朝日の番組。地井武男が第1回(2006年4月3日)放送で浅草を散歩した。

麻布

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麻布(あざぶ)は、東京都港区の一地区である。麻布は山の手の台地と谷地で起伏に富んだ土地である。麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代の元禄期からといわれる。

麻布は基本的に住宅地である。都心の一等地にあるため地価が高く、特に高台は富裕層が多く住んでいると言われている。低地側には幹線道路が通っており、幹線道路沿いには高層マンションが目立つ。

地理的には、麻布地域の縁を沿うように「古川」が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され、起伏に富んだ、坂道の多い地形である。

高台は閑静な住宅地となっているが、低地は下町風である。主な低地として、麻布十番や東麻布などがあり、どちらも古くから職人が移り住んだことで、下町らしい文化が形成されたと言われる。

近年まで、麻布地域内の鉄道駅は南麻布の端にある広尾駅しかなく、または隣町の六本木駅や神谷町駅がある程度で、鉄道でのアクセスが悪い場所だった。そのため、麻布はマイカーやタクシー利用でのみ来ることができるという大人なイメージのある隠れ家的な地域であった。しかし、2000年に大江戸線麻布十番駅、南北線麻布十番駅、大江戸線赤羽橋駅、南北線白金高輪駅の4駅が相次いで開業し、鉄道しか移動手段がない者でも容易に来ることができるようになった。鉄道駅開業後は、雑誌でも麻布十番駅周辺の商店街が取り上げられることが多くなったため、鉄道利用の人々にとっては、麻布というと、麻布十番という下町的な雰囲気のみを連想しやすい。

なお、現在は麻布と六本木は別の町のように思われまた扱われるが、元来六本木は麻布の一地区であった。そのため、現在でも麻布と六本木は行政区分などの点で地域的繋がりが強い。例えば、麻布警察署や麻布図書館は六本木にある。

麻布周辺には貝塚などが見られ縄文時代から人間が住んでいた。弥生時代には農業も行われていた。

712年には竹千代稲荷(現在の十番稲荷)が創建、824年には空海により麻布山善福寺が開基、939年(天長元年)には氷川神社が源経基により勧請される(1659年に現在の位置に移転)。

江戸時代初期までは農村や寺社の門前町であった。武家屋敷が建ち並ぶようになり、江戸の人口増加・拡大につれ都市化し代官支配から町方支配にうつる。馬場が1729年(享保14年)に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。

1859年(安政6年)にアメリカ公使館が善福寺に置かれる。明治時代には古川が埋め立てられ鉄道馬車が通り工業化が進む。次第に台地の上は高級住宅街、低地には零細商工業といった分化がすすむ。大正時代には麻布十番を中心に花街や演芸場、映画館、デパートなどが造られ東京でも有数の盛り場となる。第二次世界大戦では空襲で大きな被害を受けるが、戦後に復興する。

1949年に麻布十番温泉が開湯する。

戦後、地下鉄日比谷線の開通計画に際し、銀座に顧客を取られることを恐れ、地下鉄駅の開設反対運動が起こり路線は変更された。しかしながら結果として六本木に客足が向かうことになり長く商業的な停滞が続いた。2000年、南北線の開通に伴い麻布十番駅が開設され、駅前商店街の奥には六本木ヒルズが完成するなど嘗ての殷賑を取り戻しつつある。現在の麻布は、東京を代表する住宅地の一つとして知られ、芸能人・著名人・財界人など多くの人が住んでいる。

麻布区は港区の前身(東京市の行政区)の1つである。1878年に郡区町村編制法が施行され東京府域が15区6郡に区画分けされた際に発足した。その範囲は、今日「麻布」を名前に含む町すべて(麻布十番・麻布台・南麻布など8町)と六本木一丁目~六丁目の町域にほぼ一致する。

1947年に港区が発足し、麻布区は消滅。この際、旧麻布区域のすべての町名には「麻布」を冠する町名に変更がなされたため(一例、「六本木町」を「麻布六本木町」に変更)、住居表示の実施による町名町域統合が行われるまで麻布地区一帯には「麻布○○町」といった町名が41存在した。麻布永坂町に住む松山善三氏と麻布狸穴町に住む澤博士氏の両者の運動により、麻布永坂町と麻布狸穴町の地名だけが変わらず今日に残っている。

名称の経緯が似ている。→ 日本橋・神田地区

池袋

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池袋(いけぶくろ)とは、東京都豊島区に属する池袋駅を中心とする副都心。または東京都豊島区に属する区画の一つ。

池袋は、新宿、渋谷と並ぶ山の手3大副都心の一つ。駅を中心に巨大な百貨店や専門店が集中し、飲食店や風俗店などがひしめく。繁華街は東西に広がり、1日に100万人の集客人員がある。この街の事を若者を中心に「ブクロ」と略して呼称されることもある。

東口方面には西武百貨店、ランドマークとなるサンシャイン60、女性向けオタクストリート乙女ロード、豊島区役所等があり、西口方面には東武百貨店、東京芸術劇場等がある。

8路線からなる巨大な鉄道ターミナルが形成されており、各地から種々雑多な膨大な人を集客する。特に西武池袋線・東武東上線・JR埼京線・湘南新宿ライン等を利用する東京都西部、埼玉県南・西部の住民が多い。

中心部から少し離れると、立教大学、重要文化財に指定されているフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園などの緑や文化財も多く、池袋演芸場などの寄席や小劇場もある。

駅や街の至る所にあるいけふくろう像は、「渋谷のハチ公に対して、池袋にも待ち合わせのメッカを」ということで、“いけぶくろ”と“フクロウ”を掛け合わせて考え出されたものである。特に、東口のものはJR発足時に設置されたものである。

戦国時代から「池袋」という地名が使われていることは分かっており、江戸時代の古文書からもその名を見つけることができる。現在の池袋駅西口のホテルメトロポリタン付近に存在していたとされる、袋型の大きな池が袋池と呼ばれており、それが直接の由来となったという有力な説があるが、確かなことは分かっていない。

現在の池袋駅より少し北西に離れた場所、今で言う豊島区池袋、豊島区池袋本町の辺りにかつて存在した「池袋村」が発祥とされている。1889年の町村制施行で巣鴨村の大字となる。

しかし、池袋の地は古くは栄えているとは言いがたい農村地帯であった。ここが栄えるきっかけとなったのは、鉄道の開業である。現在、赤羽線・山手線(埼京線)となっている赤羽駅~品川駅間の路線を、上野駅~前橋駅間に鉄道を開業させていた私鉄の日本鉄道が、官営鉄道(新橋駅~横浜駅)との接続を目的に1885年に開業させた。だが、この時池袋に駅は設けられなかった。

その後、1903年に田端駅への支線を建設する事になった。この時、当初は目白駅での分岐が想定されていたが、地形の問題で池袋を分岐点にする事になり、池袋駅の開設に至ったのである。だが、駅の外に畑が広がっているという状況はなかなか変わらなかった。

大正から昭和にかけ、東上鉄道(今の東武東上本線)や武蔵野鉄道(今の西武池袋線)なども池袋へ乗り入れるが、これらはどちらも当初繁華街とはいえなかった池袋は起点とせず、当時の繁華街であった神田・巣鴨(市電が1912年には乗り入れていた)への乗り入れを前提としていた。その過程において池袋は仮のターミナル駅として開設されたが、その後の事情でどちらも都心への延伸を断念し、結果として池袋起点となったものであった。この頃は、巣鴨の他に、白木屋があり王子電気軌道(今の都電荒川線、1911年に開業)と山手線が交差していた大塚駅辺りが繁華街であって、池袋は師範学校や立教大学など、学校が置かれた事から文教地区となっていった。

1933年に白木屋と京浜急行電鉄が共同で設立した京浜百貨店が1930年代に菊屋デパートの名で池袋駅に開店。そして東京市電(1943年に東京都電となる)が1939年に池袋駅前に乗り入れ、この頃から交通の結節点として、賑わいを見せるようになる。菊屋は1940年に武蔵野鉄道(現西武鉄道)に買収され、武蔵野食糧を開設。武蔵野デパートを経て1949年に西武百貨店と改称した。また1962年に東横百貨店が東武鉄道に売却され、東武百貨店と改称し、丸物百貨店はパルコになった。

現在池袋と名の付く地区の大半は、一時期西巣鴨町に属していた。西巣鴨橋という橋が東池袋二丁目に現存する。サンシャインシティは巣鴨拘置所の跡地に立てられたものである。

上野

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上野(うえの)は、東京都台東区の上野駅を中心とする一帯を指す地域名。行政上の町名は、台東区上野、北上野、東上野、上野公園などからなり、日本最初の公園である上野恩賜公園(上野公園)や、商店街がある繁華街。

町名の上野は、新住居表示で一丁目から七丁目まで存在する。

上野山は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれており、元々江戸においては人口の少ない地域であった。

1603年に江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊賀国上野を本拠地とする外様大名・藤堂高虎の屋敷が置かれた。

後に徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町が開けた。この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになる。これは、藤堂家の所領である上野に地形が似ていたためと言われている。寛永寺には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展した。上野寛永寺は、江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当たり、京都の延暦寺(京都から見た場合は北東)に擬えた江戸鎮護の寺でもあった。

明暦の大火後には上野に広小路が設置された。ただし、当時の上野広小路は現在の上野駅付近にあり、現在の広小路は江戸時代には「下谷広小路」と呼ばれていた。

1868年に新政府軍と彰義隊による上野戦争で寛永寺が焼失し、その跡地が上野公園となった。その後、東京市15区6郡制の下で、上野公園とかつての門前町は下谷区に編入される。

1883年の上野駅開業後には、上野駅が東北本線の始発駅となったことから、東京の北の玄関口の役割を担うようになり、街も発展した。1947年に東京都の区が23区に再編されると、下谷区と浅草区が合併し、台東区となるとその一部となり、現在に至っている。

「上野」という地名の由来には諸説が有る。

最有力の説は、藤堂高虎が、当地の地形が本拠地たる伊賀上野(いがうえの)に似ている点から「上野」と命名したという説。

もう一つは、小野篁が上野国(こうずけのくに。現在の群馬県)での任を終えて京へ帰る途中で、当地に館を建てて暫く滞在し、その際地元の人が篁のことを呼んだ「上野殿」が地名になったという説。

恵比寿

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恵比寿(えびす)は東京都渋谷区の地名。地下鉄日比谷線、JR山手線、埼京線、湘南新宿ラインの恵比寿駅がある。また西にある、東急東横線の代官山駅も徒歩圏内。訛って、「えべす」とも呼ばれることがある。ヱビスビールと深い関りがあり、ビール広場・ビール坂・ビール橋などの地名が残っている。アメリカ橋も有名。

ローマ字表記は通常はEbisuだが、サッポロホールディングス関係の施設はYebisu(ヱビスビールと同じ)になる。

江戸時代は、下渋谷村・三田村と呼ばれており、渋谷川と三田用水に挟まれる農村で、大名の下屋敷が点在していた。1889年、現在のサッポロビールの前身となる日本麦酒醸造会社がこの地に工場を開設。翌年売り出したビールは、「ヱビスビール」と名づけられた。1894年、ヱビスビールの名にあやかって、兵庫の西宮神社の恵比寿様の分霊を受け、恵比寿神社ができた。1901年には、ビールの運搬のために山手線にゑびす停留所が開設され、1906年から恵比寿駅として旅客扱いを開始。1928年に、渋谷町大字恵比寿通という地名が制定され、幾度かの地名改正を受け、他に隣接する町などを統合して現在の恵比寿という地名に至る。なお工場は1988年に移転され(現千葉工場)、現在は恵比寿ガーデンプレイスとして再開発された。サッポロビール本社もここにある。

現在の恵比寿三丁目が伊達(だて)町、現在の恵比寿四丁目が豊沢(とよさわ)町であった。伊達町は宇和島藩(伊予10万石。仙台藩(伊達藩)の支藩ではなく、新規に国主格大名として取り上げられた)の下屋敷があったことに由来する。現在でも旧地名は町会名として残っており(豊沢町会、伊達町会)、また、恵比寿二丁目交差点を頂上とする坂を「伊達坂」と呼び、恵比寿二丁目交差点の別称は「伊達坂上」である(都営バスの車内放送でも併せて放送される)。現在でも、児童遊園名、マンション名やビル名などに伊達町、豊沢町の名を散見することができる。)なお、三鷹市にある東京無線グループの伊達交通は伊達町で開業したことに由来する。

近年、フランスのクリスタルガラス製造工房「Baccarat」の協力を経て、世界最大級のシャンデリアが展示・公開される。時期はクリスマスシーズンを狙って11月上旬から。開始期間はほぼ同じだが、終了期間は年によってまちまち。長くて2月のバレンタインデーまでとなっている。施設内全体に飾り付ける、イルミネーションもあわせて行われる。

2006年度は、11月3日(金・祝)~翌年1月14日(日)のみ。
クリスマスイベントも開催されている。恵比寿ガーデンプレイス公式HPを参照のこと。

2007年度は11月3日(土・祝)~翌年1月14日(月・祝)
点燈式は初日の17時より。

大手町

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大手町駅(おおてまちえき)は、東京都千代田区大手町一丁目6番1号にある東京地下鉄(東京メトロ)と東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。東京メトロ丸ノ内線は「サンケイ前」、都営地下鉄三田線は「読売新聞社前」の駅名併称がある。

当駅は東京の地下鉄の駅で最も多い、5路線が通っている。なお、東京駅との徒歩連絡が可能である。

各路線の駅をつなぎ合わせると、アルファベットの「P」の様な配置になっており、左下から、時計回りに三田線・千代田線・半蔵門線・丸ノ内線・東西線の順に並んでいる。半蔵門線の駅が開業した当時は「日本一の地下鉄駅」として、NHKのニュース番組などでも取り上げられた。

東京地下鉄各線は改札内で連絡しているが、丸ノ内線・半蔵門線と東西線の乗り換え部分は直接の連絡がなく、乗り換える時には一旦改札を出場する方が便利なため、いずれの乗車券でも改札外で乗り換える事が可能になっている(なお、遠回りになるが千代田線ホームを経由すれば改札内での乗り換え可能である)。また、東西線から千代田線への連絡でも改札外で乗り換えが可能である(千代田線から東西線へは不可。但し、一度東西線の改札外乗り換え改札まで行って出場し、再び千代田線入場改札から入場するのは可)。そのため、東西線・丸ノ内線・半蔵門線のりばへの改札口にある自動改札機には、オレンジ色のステッカーが貼付されているものがある。なお、東西線と半蔵門線を乗り換える際に、東西線ホーム中野寄りや半蔵門線ホーム渋谷寄りから乗り換える場合は、千代田線ホーム経由の方が距離が若干短い。

東西線と半蔵門線、三田線と半蔵門線・丸ノ内線の相互間は乗り換えに時間が掛かる。東西線と半蔵門線の場合は九段下駅、三田線と半蔵門線の場合は神保町駅が便利。

東西線ではJR東京駅への乗り換え案内を行っている(他の各路線では行っていない)。逆に、JR東京駅では東西線への案内を駅構内のみで行っている(同駅構内には東西線と丸ノ内線の乗り換え案内があるが、丸ノ内線は東京駅である)。

丸ノ内線のホームは、南隣の東京駅に近すぎない様にという理由で、現在の位置に建設された。なお、同駅間のトンネルの下にも駅施設があるため、東西線ホーム上の改札外通路は丸ノ内線トンネルの部分を掘り下げた構造になっており、また東西線ホームも丸ノ内線トンネルの部分のみ天井が少し低くなっている。

三田線日比谷駅側の地上出入口の一部は、千代田線二重橋前駅の出口と共用している。

2007年3月18日より、IC乗車カード「PASMO」が使用可能である。PASMOとSuicaは当初から相互利用可能であるが、これを利用して千代田線(又は日比谷線)と東西線を経由して、JR常磐線亀有駅・南千住駅以遠(北千住駅接続金町駅・三河島駅の各方面)から中央線東中野駅・高円寺駅以遠(中野駅接続大久保駅・阿佐ケ谷駅の各方面)、或いは総武線下総中山駅・船橋駅、武蔵野線船橋法典駅、京葉線市川塩浜駅・南船橋駅以遠(西船橋駅接続本八幡駅・東船橋駅・市川大野駅・新浦安駅・新習志野駅の各方面)に向かう場合、又はその逆の場合は、全線をJRの路線を利用したものとして運賃が計算されるので注意が必要である。なお、西船橋駅にはJRと東京地下鉄との連絡改札口が設置されている。

東京地下鉄

* 丸ノ内線は相対式ホーム2面2線、その他の路線は島式ホーム1面2線の地下駅である。
* 丸ノ内線ホーム以外は改札口とホームとの間にエレベーターがある。
* トイレは全部で6箇所あるが、多機能トイレは東西線中央改札にしか設置されていない(乳幼児・オストメイト非対応)。なお、2007年11月現在半蔵門線ホーム直上の渋谷方地下3階にあるトイレは改修工事により閉鎖中である。

[編集] のりば
1 ○丸ノ内線 銀座・新宿・荻窪・中野富士見町方面
2 ○丸ノ内線 御茶ノ水・後楽園・池袋方面
3 ○東西線 西船橋・津田沼・東葉勝田台方面
4 ○東西線 飯田橋・高田馬場・中野・三鷹方面
5 ○千代田線 代々木上原・本厚木・唐木田方面
6 ○千代田線 西日暮里・北千住・綾瀬・取手方面
7 ○半蔵門線 九段下・渋谷・中央林間方面
8 ○半蔵門線 押上・久喜・南栗橋方面

お台場

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お台場(おだいば)とは、東京都港区台場(東京湾埋立13号地北部)の通称である。現在の住居表示では一丁目から二丁目まである。当地域の人口は、5,194人(2007年9月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
また、広義には品川区東八潮、江東区青海を含む13号地全体をお台場と呼ぶこともある。この地域は臨海副都心(りんかいふくとしん)の一部である。

* 嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために伊豆代官の江川太郎左衛門に命じて、洋式の海上砲台を建設させる。工事は急ピッチで進められ、砲台は翌1854年にペリーが2度目の来航をするまでに一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。

ペリー艦隊は品川沖まできたが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で、海上に第一台場から第七台場が、また品川の御殿山のふもとに御殿山下台場の合計8つの台場が建設された。このうち、現在は台場公園として開放されている第三台場と、他の埠頭などとつながっていない第六台場が残されている。なお「お台場」は「砲台場」が訛ったものだという。つまり、日本各地にある他の台場も「お台場」と呼んで差し支えない。この砲台は、十字砲火に対応しており、敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃を加えることで敵船の損傷を激しくするのである。2度目の黒船来襲に対し、幕府はこの品川台場建設を急がせたが、結局この砲台は火を噴くことなく戦い無しの開国となったのである。

* 明治初期、品川台場は陸軍省の管轄におかれる。
* 大正3年(1914年)、品川台場が陸軍省から東京市に払い下げられ、海上の7つの台場は東京市芝区品海砲台となる。
* 昭和3年(1928年)、第三台場が東京市により整備され、台場公園として市民に開放される。
* 昭和14年(1939年)、第四台場が新しく完成した埋立地(品川区天王洲町・現在の品川区東品川)に埋没して消滅する。
* 昭和16年(1941年)、東京港が開港する。
* 昭和22年(1947年)3月15日、芝区・麻布区・赤坂区が合併して港区が成立し、台場地区は東京都港区品海砲台となる。
* 昭和30年(1955年)、品川区と地続きになっていた旧第四台場の土地が、港区より品川区に割譲される。
* 昭和32年(1957年)、8つの台場のうち唯一陸上に造られた御殿山下台場が撤去され、跡地に品川区立台場小学校が開校する。
* 昭和36年(1961年)、東京港の開港に伴い船舶が増加したため、航路を塞ぐ形で浮かぶ第二台場が撤去される。
* 昭和37年(1962年)、第五台場が新しく完成した埋立地(港区品川埠頭・現在の港区港南)に埋没して消滅する。
* 昭和38年(1963年)、第一台場が新しく完成した埋立地(港区品川埠頭・現在の港区港南)に埋没して消滅する。
* 昭和40年(1965年)、第七台場が撤去される。これにより、現存する第三台場と第六台場以外のすべての台場が消滅する。なお、第七台場は最初から未完成のまま海面下に水没した状態で残されていた。
* 昭和40年(1965年)3月1日、台場地区に住居表示が実施され、港区品海砲台(第三・第六台場)が港南五丁目となる。
* 昭和54年(1979年)、東京港の海底を掘削した際の残土により埋立が進められ、13号埋立地が完成する。そのうち北部は幕府が築いた台場にちなんで、お台場と呼ばれた。完成当時、13号埋立地はいずれの区にも属していなかったが、北部は港区、西部は品川区、南部は江東区にそれぞれ帰属された。

東京都は都心の混雑を緩和するため、臨海部の開発を進めた(埋立地の開発としては神戸のポートアイランド、福岡の人工浜・シーサイドももちなどが先行していた)。レインボーブリッジの建設や世界都市博覧会の開催予定により、企業進出が誘致された。(東京臨海副都心を参照のこと)

* 平成7年(1995年)、世界都市博覧会の中止が決定される。これによって企業の進出や移転のキャンセルが相次ぎ、13号地は空き地だらけとなったため発展に暗雲が立ち込めた。また、東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発など、この地域を中心に事業を行っていた第三セクターは大幅な赤字となり、事実上破綻した。
* 平成8年(1996年)、臨海副都心開発により新たに港区台場が13号地北部に成立する。これに伴い、第三台場・第六台場が港区港南五丁目から港区台場一丁目に変更される。
* 平成9年(1997年)、フジテレビが新宿区河田町より移転、また同局のTVドラマ「踊る大捜査線」などによりお台場の知名度が上がり、りんかい線の全線開通(2002年)もあって、商業施設のみならず居住施設やランドマークも続々と誕生している。さらに東京都知事の石原慎太郎がカジノ構想を提唱したため、賛否を問わず注目度は一層高まっている。
* 平成16年(2004年)、上海ガニがお台場の海岸に生息していることが確認される。

お台場は昭和時代に潮干狩りのために蜆がたくさん放された。そのため現在お台場付近の海岸は潮干狩りができる隠れたスポットである。お台場付近は港区・江東区・品川区のちょうど境界線にあり場所によって区が異なる。またお台場に程近い東京国際展示場(通称:ビックサイト)とテレコムセンターは江東区にあり船の科学館は品川区に属している。当然フジテレビは港区にある。ゆりかもめは港区からレインボーブリッジを通りお台場に入り港区、江東区に入り豊洲へと続く。(東京港も参照のこと)

御茶ノ水

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御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)は、東京都千代田区と文京区に跨る東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅。東京地下鉄の駅番号はM-20。

神田川(外堀)南側(千代田区側)にJR東日本の駅が、北側(文京区側)に東京地下鉄の駅がある。そのため、所在地はJR東日本が千代田区神田駿河台、東京地下鉄が文京区湯島である。

JR東日本

島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。

外側2線を中央線の快速が、内側2線を中央・総武線の各駅停車がそれぞれ使用する。方向別複々線になっていて乗り換えには便利だが、昼間の多頻度運行時には快速と各駅停車は接続を取らない事が多く、快速のドアが開くと同時に向かい側の各駅停車の列車のドアが閉まるという事も多い。

当駅を境に総武線と中央線の各駅停車の列車が相互直通運転を行う。ただし、中央線が快速運転を行わない早朝と深夜は両線で分離して運転を行う。総武線は当駅で折り返すが、中央線は当駅の水道橋方で快速線から緩行線に転線して東京駅発着で運転する(この際には、快速で使われるオレンジ色帯の電車が使用される)。総武線の上り列車は当駅2番線に到着し、そのまま中央緩行線下り本線に引き上げ、その後3番線に入線して総武線下り列車となる(構造上、東京発着の全列車は総武線が折り返しに使うところは通らない)。この時間帯には、千葉方面から新宿・三鷹方面、その逆の三鷹方面から錦糸町、千葉方面へ行く場合は、共に当駅での乗り換えが必要となる。

御茶ノ水橋と聖橋の間にホームがあり、それぞれの橋の南側に出口がある。なお、駅本屋は御茶ノ水橋側にある。高台の擁壁と神田川の間に駅があるため、ホームの幅が非常に狭い。

JR発足直後に老朽化した駅舎を建て替えるために、新駅舎のデザインを募集するなどの大規模なプロジェクトが行われて、ニコライ堂を模したデザインが選ばれた。しかし、擁壁と神田川に挟まれている事、駅舎がホームより高い位置にあり大変に狭い所にあること、利用者が多いことなど、不利な条件がいくつもあるためか、その後計画は立ち消えとなってしまった。

このような構造上・立地上の問題からバリアフリー対応が十分に行われておらず、車椅子用のリフトはあるがエレベーターとエスカレータが設置されていない。周辺に大学病院などの大規模な病院が数多くあり、通院する高齢者などから苦情が寄せられているため、2002年に周辺の8病院が連名でJR東日本にバリアフリー対応の要請を行っているものの、技術的に困難として進展しておらず、2006年12月月下旬からエレベーターとエスカレータの設置を求める署名運動が行われている。

トイレは御茶ノ水橋口と聖橋口の両改札口内にあるが、共に多機能トイレはない。

JR線の北を神田川が流れる。丸ノ内線の駅は神田川の北側にあり、御茶ノ水橋でつながる。聖橋は東、御茶ノ水橋は西に架かる。駅周辺は明治・日本・順天堂・東京医科歯科の各大学などがあり、『日本のカルチエ・ラタン』とも呼ばれる学生街として知られている。また、楽器店やスポーツ用品店、歴史ある有名病院も数多い。

* 新御茶ノ水駅(東京地下鉄千代田線)
* 小川町駅(都営地下鉄新宿線)
* 淡路町駅(東京地下鉄丸ノ内線)
* 東京電機大学(本部・工学部)
* 駿河台大学(お茶の水キャンパス・大学院法務研究科)
* 駿台予備学校
* 日本出版販売本社
* ニコライ堂(正式名は「東京復活大聖堂」。日本ハリストス正教会の府主教座・本部)
* 総評会館(日本労働組合総連合会本部)
* 文化学院
* アテネフランセ
* 明治大学(本部・駿河台キャンパス)
* 日本大学(歯学部・理工学部・大学院法務研究科)
o 駿河台日本大学病院
o 日本大学総合健診センター
o 日本大学歯学部付属歯科病院
o 日本大学カザルスホール
* 中央大学駿河台記念館
* 山の上ホテル
* 東京YWCA会館
o 東京YWCA専門学校
* 井上眼科病院
o 井上眼科病院付属駿河台診療所
o 井上眼科病院付属お茶の水・眼科クリニック
* 名倉病院(建て替え中)
* 神尾記念病院
* 杏雲堂病院
* 社団法人東京都教職員互助会三楽病院
o 三楽病院付属生活習慣病クリニック
* 東京都水道局水道歴史館
* 浜田病院
* 神田(神保町)古書店街
* 三省堂書店神田本店
* 神保町駅(東京地下鉄半蔵門線、都営地下鉄三田線・新宿線)
* 明大通り
* 外堀通り
* 国道17号
* マロニエ通り
* 四谷大塚御茶ノ水校舎
* デジタルハリウッド本社・東京本校

表参道 (原宿)

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2006年、年末年始のイルミネーションが復活。表参道akarium(アカリウム)という名称で、和のテイストを入れた斬新な灯りの塔60基が 2006年12月5日から翌年1月8日までの期間、歩道沿いに設置されたが、ビルの灯りや車のライトに紛れて、地味で目立たなかったという声が多く、新たな試みが期待される。

都道413号線のうち、表参道交差点から根津美術館方面に向かう区間は「フロムファースト通り(みゆき通り)」と呼称されることがある。幅員15mと比較的狭小であるが、こちらも高級ブランド店の多い通りである。

施設名: 表参道ヒルズ
(おもてさんどうヒルズ )
住所: 〒150-0001
東京都渋谷区神宮前4丁目12番10号
営業時間: ショッピング・サービス/11:00~21:00、(日)~20:00 レストラン/~24:00、(日)~23:00 カフェ/~23:00、(日)~22:00
お休み: 無休(年4日休館予定)
問い合わせ先: 総合インフォメーション
03-3497-0310
アクセス: 地下鉄銀座線・千代田線・半蔵門線地下鉄「表参道駅」A2出口から徒歩2分、または地下鉄千代田線「明治神宮前駅」5番出口から徒歩3分、またはJR山手線「原宿駅」明治神宮口から徒歩7分
行き方を調べる
概要: 表参道のランドマークとして2006年2月にオープンした商業施設と住宅、駐車場からなる複合施設。建物本体の高さも抑えられることにより、表参道のケヤキ並木と調和し、屋上の緑化部分は明治神宮からつながる緑の景観を創り出している。 多くの人々に親しまれてきた旧同潤会青山アパートの外壁の一部が再生されているほか、館内には表参道の坂とほぼ同じ勾配を持つ長さ約700mの“スパイラルスロープ”(第二の表参道)や、吹抜け大階段、イベントスペースなどが配置されている。

霞が関

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霞ヶ関とも書く。霞ヶ関ビルディングなどには、特別な郵便番号の設定がある。
奥州街道の関所として中世から東国の名所として広く知られており、1364年(貞治3年)の新拾遺和歌集にも「徒らに名をのみとめてあづま路の霞の関も春ぞくれぬる」として詠まれているが、これが現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては具体的には新宿区霞岳町、狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補として挙がっている。
霞ヶ関の煉瓦街(1930年代)霞ヶ関の煉瓦街(1930年代)
江戸時代までは地域であった。
語は、代名詞としても使われている。
中でも最も古くから霞が関にある「外務省」の代名詞として、「官邸外交」に対する「霞が関外交」のように用いられることもある。

* 中央合同庁舎1号館…農林水産省、林野庁、水産庁 * 中央合同庁舎5号館…厚生労働省、環境省、内閣府(防災担当) * 中央合同庁舎6号館…法務省、公正取引委員会、公安調査庁、最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁、東京区検察庁、東京家庭裁判所、東京簡易裁判所(民事) o 赤レンガ棟…法務省旧本館(重要文化財) * 裁判所合同庁舎…東京高等裁判所、知的財産高等裁判所、東京地方裁判所、東京簡易裁判所(刑事)、第一中小企業庁、資源エネルギー庁 * 日本郵政本社(旧日本郵政公社本社、旧郵政省)
霞が関の最寄として機能している駅を以下に挙げる。

駅ホームは逆向きの「コ」の字に配置されており、北から反時計回りに丸ノ内線、日比谷線、千代田線の順である。

丸ノ内線は島式・相対式(渋谷駅山手線ホームタイプ)の組み合わせの2面2線の地下駅である。改札は地下1階、ホームは地下2階にある。エレベータが地下1階~地下2階を結ぶ。なお丸ノ内線の駅は開業当時は島式1面2線であったが、1973年に現在の形になった。

日比谷線は島式ホーム1面2線の地下駅である。改札は地下1階、ホームは地下3階にある。

千代田線は島式ホーム1面2線の地下駅である。改札は地下2階、ホームは地下1階にある。つまりホームから地上に出るには一旦下の階に降りる必要がある(ホームから上階への階段はない)。建設地点には旧海軍の地下防空壕跡があったためこのうちの約半分を取り壊して建設された。(東京地下鉄道千代田線建設史による)工事の支障とならなかった部分は存置されていると考えられるが、前出の建設史に記載されている図面を見る限り独立していると考えられる。エレベータが地下1階~地下2階を結ぶ。

丸ノ内線と千代田線の乗り換えには日比谷線ホームを経由する必要がある。東京メトロによれば5分かかるということになっている(丸ノ内線、千代田線を直接結ぶ改札内通路はない)。

千代田線の国会議事堂前駅寄りに有楽町線桜田門駅につながる連絡線(単線)があり、主に回送列車が使用する。営業列車では「千代田ワープ号」などのイベント列車が走行している。

当駅(次駅の日比谷駅)~北千住駅間は日比谷線経由と千代田線経由があるが、千代田線経由のほうが早く到着する。

神田

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要約結果(1074文字) 保存
神田(かんだ)は、東京都千代田区北東部の地区の地名である。神田を冠称する町名が多く見られるのは、町名変更の名残である。

1947年に神田区が麹町区と合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名には「神田」を冠称する町名変更がなされた。
神田区の名前が消滅することを惜しむ住民の声に行政が応えたとも、麹町区と神田区に同じ町名(平河町)が存在するための便宜上の措置だったとも言われる。
→ 日本橋・麻布地区
「神田」を冠称する現町名
神田相生町
神田淡路町
神田和泉町
神田岩本町
神田小川町
神田鍛冶町
神田北乗物町
神田紺屋町
神田佐久間河岸
神田佐久間町
神田神保町
神田須田町
神田駿河台
神田多町
神田司町
神田富山町
神田錦町
神田西福田町
神田練塀町
神田花岡町
神田東紺屋町
神田東松下町
神田平河町
神田松永町
神田美倉町
神田美土代町

「神田」を冠称しない現町名
内神田
外神田
西神田
東神田
岩本町
鍛冶町
猿楽町
一ツ橋
三崎町


上記のうち、「神田」を冠称しない町域ではすべて住居表示が実施されているのに対し、「神田」を冠称する町域においては住居表示が実施されていない。
たびに神田を冠称しない町名に変更がなされており(例、神田末広町・神田金沢町・神田旅籠町三丁目の各全域を外神田三丁目に変更)、神田岩本町・神田鍛冶町の町域のうち、町域が岩本町・鍛冶町である。一丁目が存在しないのは、町名変更により一丁目のみ消滅したからである。
2007年8月7日、三崎町と猿楽町に「神田」を冠する町名に変更することが分かった。

町名の読み方は主に、起立や町名町域変更のたびに「東京市公報」によって告示された読み方が使われている。
地下鉄においては、町名が駅名に採用されている。

江戸時代後期には、幕府が武芸修練所として小川町に設置した講武所や、北辰一刀流剣術の玄武館などの剣術道場があった。
伝馬町牢屋敷も安政の大獄では人物が処刑された。
町名には一律「神田」が冠称される。

私立大学
明治大学
中央大学
日本大学
東京電機大学
専修大学
駿河台大学
共立女子大学


専門学校
日本カウンセラー学院
神田外語学院


予備校
駿台予備学校
Z会東大マスターコース
博物館
交通博物館(神田須田町)*2006年(平成18年)5月14日閉館 病院
日本大学病院
日大歯科病院
ガン検診センター

銀座

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銀座(ぎんざ)は、繁華街の一つ。繁華街の代名詞的存在となっており、高級商店街、繁華街としては世界的にもその名が知られている。「洗練された大人の街」として活況を呈し、日本でも繁華街を形成している。
北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。江戸城外堀を埋め立てた東京高速道路の1・2階部分は商店街となっているが、行政区画が部分もあり、俗に銀座九丁目・銀座西◎丁目地先などと呼ばれる。
北東から南西にかけて町を貫く銀座通り(中央通り)を中心にグリッド状の街区が構成されており、平行して外堀通りと昭和通りが、北西から東南にかけて晴海通りといった大通りが町を貫いている。
東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に島であった。
昭和通りの南東に位置する地域は、地域だったが、埋め立てにより銀座と地続きとなったことから銀座東と改名し、銀座に統合された。
首都高速都心環状線を挟んだ地域も含めて東銀座駅を最寄りとする一帯は、一般的に東銀座と呼ばれている。数寄屋橋を中心とする地域はかつて銀座西という町名だったが、地下鉄丸ノ内線の西銀座駅(現在の銀座駅)があったりしたことから町名が銀座となった今でも広く西銀座と呼ばれている(例:西銀座デパート・西銀座チャンスセンター・西銀座通り)。

銀座に転機が訪れたのは、明治維新後の1869年と1872年に起こった2度の大火だった。
銀座大火は兵部省添屋敷から出火し、銀座一円が焼失するという大規模なものであった。
整理後も払下げ価格が高価なうえに支払い条件が厳しく、住民たちは銀座を後にせざるを得なかった。かわりに、地区で成功を収め、煉瓦街に進出してきた商人たちが銀座の表通りで商売を始めた。出発した銀座には特色があった。
京橋区という下町にありながら、顧客は主に手に住む中産階級、ホワイトカラーの人々だったということである。下町の人々の盛り場は、浅草・上野だった。維新後に東京へ出てきた人々は、同じく明治に入って急速な発展を遂げた銀座に集うようになり、こうした地方出身者と中産階級の増加に伴って、銀座も発展をしていった。
J.フロント リテイリング
中越パルプ工業
王子製紙
紀文食品
資生堂
日産自動車
三城
リコー
ヤマトホールディングス
大和自動車交通
電源開発
東映
東京テアトル
不二家
博品館
天賞堂
山野楽器
東京海上日動あんしん生命保険
時事通信社
ぎょうせい
実業之日本社
大日本図書
マガジンハウス
読売広告社
駅前探険倶楽部
リクルート

食においても、銀座は西洋の味覚を紹介する場となった。
1895年には「煉瓦亭」が開業し、カツレツなどの洋食を日本全国へ波及させた。銀座で調剤薬局を営んでいた資生堂は1902年、店舗内に「ソーダ・ファウンテン」(現・資生堂パーラー)を併設し、ソーダ水やアイスクリームを売りだした。他にも、1897年に開業した輸入果物の販売やフルーツパーラーを開業するなど、銀座には様々な食文化が流れ込んだ。カフェを模した「カフェープランタン」が開店し、作家や画家などの文化人の社交場となった。
その後も「カフェーパウリスタ」や「カフェーライオン」などが続々と開店し、学生なども出入するようになり、議論が盛んに行われた。流行とともに大衆化・俗化し、カフェーは全盛を極めることとなった。銀座は高級料理店や料亭、高級クラブなどが立地する街として認識されるようになっていった。
1号店が銀座に開店した。進出し、その後も「サンマルクカフェ」や「ル・カフェ・ドトール」の1号店の開店が相次ぎ、銀座はカフェの激戦地となったほか、カフェブームを全国へと広げる舞台にもなった。

汐留

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汐留(しおどめ)とは、地名・旧町名。全域が港区東新橋に該当する。東新橋一丁目と二丁目がある。

今日では、新橋駅と間から分岐していた貨物線の汐留駅跡地で土地区画整理事業を実施して誕生した巨大複合都市“汐留シオサイト(しおどめsiosite)”を指す。
その結果、汐留は武家屋敷街となった。江戸城外堀に干満が及ばないように堰があったことからこの名前がついたらしい。その後、新橋駅がこの汐留に建設され、東京の玄関として華やかで活気のある街となった。汐留は、貨物専用駅となり、集まる貨物ターミナルとして栄えることになる。
跡地と、地権者からなる周辺31ヘクタールの広大な都市基盤整備とプロジェクトにより、1995年(平成7年)から再開発がはじまった。
東側には西側は霞ヶ関の官庁街があり、銀座、築地、臨海副都心にもビジネスロケーションといえる。汐留シオサイトに汐留シティセンターや電通ビル、日テレタワーなどはヒートアイランド現象の要因とも指摘されている。
話すらある。

東新橋一丁目・海岸一丁目

日本テレビタワー
汐留メディアタワー
電通本社ビル松下電工東京本社ビル
旧新橋停車場(鉄道開業時の新橋停車場の建物などを復元) 日本通運本社ビル
汐留H街区超高層棟
アクティ汐留(賃貸マンション) 3~44階 ラ・トゥール汐留(賃貸マンション) 45~56階 スカイグランデ汐留(分譲マンション) 汐留芝離宮ビル
T&D保険グループ 5〜20階
ポケモンセンタートウキョー2階
東急不動産<仮称> 汐留I-2プロジェクト(建設中) イタリア公園(港区立公園) 汐留シティセンター
全日本空輸本社
富士通本社
三井化学本社
日本テレビタワー
日本テレビ放送網本社
汐留タワー
資生堂汐留オフィス 1~22階
ホテル ロイヤルパーク汐留タワー 24~38階
電通本社ビル
電通東京本社
カレッタ汐留
電通四季劇場[海] 汐留メディアタワー
共同通信社本社
パークホテル東京 25〜34階
トッパンフォームズ本社ビル
東京汐留ビルディング
ソフトバンク本社
ソフトバンクテレコム本社
ソフトバンクモバイル本社
コンラッド東京 28~37階(ホテル) 汐留住友ビル
リクルートグループなど 首都高速道路都心環状線

江古田

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中野区の北部に位置する。東部は新宿区西落合に接する。北部・北東部は江古田川を境に中野区江原町・練馬区豊玉北・豊玉中に接する。北部は道路を境に豊玉南にも接する。西部は中野区丸山に接する。南部は新青梅街道を境に中野区松が丘・沼袋に接する。
江古田は室町時代に初出が確認されているが、地名の由来および当時の読み方については諸説あり、はっきりしていない。
1477年には太田道灌と豊島一族がこの地で戦い、江古田原沼袋の戦いと呼ばれている。
江古田は多摩郡東端の村であったが、明治維新後の1889年(明治22年)、近隣の6村と合併し野方村となった(この間、所属郡は東多摩郡→豊多摩郡と変遷)。
その大字となる。地名としての江古田の範囲は、住居表示法施行で決まったものである。
この直前では、江原町、丸山、沼袋二丁目および四丁目を加えた範囲が江古田であり、江古田一丁目から四丁目まで存在した。現在中野区では江古田地域の範囲を江古田一丁目から三丁目・江原町全域・松が丘全域とし、江古田四丁目は沼袋地域に組み入れられている。

江古田三丁目の北西部一帯は、結核を罹った患者の隔離病棟を備えた施設であった。
現在跡地は江古田の森公園といった福祉保健施設・公務員宿舎になっている。いが、都営大江戸線(落合南長崎駅・新江古田駅)、西武池袋線(東長崎駅・江古田駅)および西武新宿線(新井薬師前駅・沼袋駅)の各駅が徒歩10~15分の範囲にある。
乗合バスの系統および運行本数も充実しており、これを利用する者も多い。江古田駅が存在し、駅周辺一帯も江古田と呼ばれることが多い。
江古田駅は練馬区栄町に中野区の江古田からは離れている。練馬区栄町旭丘が、住居表示法施行まで「江古田(町)」であったことに由来する。
諸説あるが、不明である。
中野区の地名に合わせたものである。

大学が多数あり、学生が多い町です。
ですので、駅前などは学生が騒ぐことが多く、
治安はあまりよくないとも言えます。

ですが、池袋まで3駅なので、最高の立地ですね!

白金

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白金台
明治学院大学
クイーンズ伊勢丹
三光坂
大久保彦左衛門
蜀江坂
明治坂
北里大学
日吉坂
白金台駅
白金高輪駅
高輪台駅(駅所在地は元々白金猿町)

新橋

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新橋は繁華街、ビジネス街です。

町名としての新橋が登場するのは1932年(昭和7年)10月1日。

新橋一丁目 = 二葉町、芝口一丁目、新幸町のほぼ全域、汐留町一丁目の一部、官有の無番地の一部 新橋二丁目 = 烏森町、日蔭町一丁目、芝口二丁目、官有の無番地の一部 新橋三丁目 = 愛宕下町一丁目、日蔭町二丁目、芝口三丁目、官有の無番地の一部 新橋四丁目 = 愛宕下町二丁目、源助町、官有の無番地の一部 新橋五丁目 = 愛宕下町三丁目、露月町、官有の無番地の一部 新橋六丁目 = 柴井町、愛宕下町四丁目の一部、官有の無番地の一部 新橋七丁目 = 愛宕下町四丁目の一部、宇田川町の一部、官有の無番地の一部 戦後は闇市が発展し、一時期、華僑·王長徳の勢力下にあった。
1947年(昭和22年)3月15日に、芝区は隣接する2区(麻布区·赤坂区)と合併し、港区が発足。 1965年(昭和40年)7月1日に住居表示実施による町名変更·地番整理により、芝新橋のうち、(第一京浜(東海道、国道15号)より東の区域を東新橋に編入(ただし芝新橋一丁目の該当箇所は除く)、芝田村町の日比谷通りより東の区域を編入し、丁目境界を一部変更して、現町域·新橋一丁目~新橋六丁目となった。

おいしい飲み屋がいっぱいありますね。
駅前のSLが目玉です。

代官山

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代官山町(だいかんやまちょう)は、東京都渋谷区の地名。単独で住居表示を行っている。東急東横線の代官山駅があり、単に代官山(だいかんやま)と呼ばれることが多い。地理的には、旧山手通りと駒沢通りの交差点である鎗ヶ崎に近い。
高級ブティックや高級菓子店が多い点では、青山や表参道と共通しているが、東京の都心から外れており、雑多で猥雑な商店街や飲食店が少ないため、落ち着いた雰囲気であり、隠れ家的な街となっている。

また、閑静な住宅街でもあり、住みたい街のアンケートでしばしば上位にランクインする。
建築家の槇文彦によるヒルサイドテラスは、モダニズム建築におけるまちづくりの最高例とされ、槇のプリツカー賞受賞理由の一つとされている。また、駅前には代官山アドレスがあり、住居棟であるザ・タワーは代官山のランドマークとしてそびえ立つ。ここはかつての旧同潤会 渋谷アパートメント跡地に建設されたものである。
最近の代官山はマンションの建設ラッシュ。
緑がなくなってしまうのはとても残念です。目切り坂を下ったところにあった「原っぱ」も一大商業施設ができるとか。せっかく代官山にもこういった自然が残っていると紹介してきたのにビルが建ってしまいます。残るのは西郷山公園、菅刈公園の周辺の緑はみんなで大切に守りたいものです。八幡通りや旧山手通りを散策すると、いままで気づかなかった高層マンションの姿が目に飛び込んできます。

☆おすすめのお店

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高田馬場

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高田馬場一丁目から四丁目を指すが、地域としては高田馬場駅から早稲田大学方向に通学する者やその学生街が形成されている影響、旧町域(諏訪町、戸塚町)が同じであったこと、史跡の高田馬場跡があることから、西早稲田一丁目から西早稲田三丁目までが含められ、さらに駅周辺の下落合一丁目、豊島区高田三丁目の新目白通り以南周辺までも含めることがある。

10月中旬に「大高田馬場祭り」が行われ、サンバチームが招かれ観客で賑わいをみせる。
一説に、この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとするが、それ以前に、この一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたため、その名を冠したとの説、その2つの由来が重なったためとの説もある。近接地に高田(豊島区)、上高田(中野区)の地名が見られる。
高田馬場跡は西早稲田三丁目となったため、町名と場所が一致しない状態になった。高田馬場は慣習的に「たかたのばば」と呼ばれ、付近の通称地名もこのように呼ばれていたが、駅名や住居表示による町名の浸透により「たかだのばば」が一般化してきている。

高田馬場一丁目 戸塚町二丁目、戸塚町三丁目、諏訪町 高田馬場二丁目 戸塚町二丁目、戸塚町三丁目 高田馬場三丁目 戸塚町三丁目、戸塚町四丁目、下落合二丁目、柏木五丁目 高田馬場四丁目 戸塚町三丁目、戸塚町四丁目 戸塚町一丁目(住居表示は未実施) 西早稲田一丁目 戸塚町一丁目
西早稲田二丁目 戸塚町一丁目、戸塚町二丁目、諏訪町 高田町(全部)、戸山町西早稲田三丁目 戸塚町一丁目、戸塚町二丁目
鉄道(高田馬場駅)
* 東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線 * 東京地下鉄(東京メトロ)東西線 * 西武新宿線

バス

* 都営バス
o 学02系統
o 飯64系統
o 上69系統
o 高71系統
* ケイビーバス(関東バス) o 百01系統

道路

* 早稲田通り
* 小滝橋通り
* 明治通り
* 新目白通り
* 高田馬場通り
* 諏訪通り

河川

* 神田川

築地

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大火の際に焼失した浅草の本願寺の移転のために佃島の住人によってこの土地が造成されたのだった。その後、浄土真宗の寺院や墓地が建立され、周辺は寺町のようになった。江戸幕府は軍事力増強を目的として、築地に講武所を設けて軍艦操練所を設置、勝海舟らが教授として赴任した。
後、講武所跡は明治政府に接収され、太平洋戦争後に日本海軍が解散されるまで、主に海軍用地として使用された。地(海軍卿旗を掲揚した浴恩園内の築山:旗山と呼ばれた)として水神社が祀られている。
1887年(明治20年)に広島・江田島に移転された。
海軍軍医学校

1873年(明治6年)、海軍病院付属学舎として創立。
徳川幕府が講武所内に海軍教授所として開設。

企業

築地本願寺
築地本願寺
勝鬨橋
勝鬨橋

* 東京都中央卸売市場築地市場、場外市場 * 勝鬨橋
* 国立がんセンター
* 海上保安庁 海洋情報部
* 朝日新聞 東京本社
* 日刊スポーツ新聞社 - 本社所在地
* 住友生命保険 東京本社
* 三井造船 - 本社所在地
* ニチレイ - 本社所在地
* 浜離宮パークサイドプレイス(JSR・共同テレビジョン・日通商事等の本社)

* 道路
o 晴海通り
o 新大橋通り
o 首都高速道路都心環状線

* 鉄道駅
o 築地駅 - 日比谷線
o 築地市場駅 - 都営大江戸線
o 新富町駅 - 有楽町線

1923年、関東大震災が発生し、築地一帯は焼け野原となった。
1935年には魚河岸が築地の海軍用地に移転され、場外にも市場が形成された。

永田町

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永田町(ながたちょう)は、東京都千代田区南端の町名。国会議事堂を中心に内閣総理大臣官邸(首相官邸)、衆議院議長・参議院議長公邸、諸政党の本部などが立地し、隣接する霞が関とともに日本の国家中枢機能が集中する。郵便番号は、100-0014。一部のビルなどでは、特別な郵便番号が設定されている。

地名は、江戸初期に永田姓の屋敷が並んでいたので一帯が「永田馬場」と呼ばれたことに由来する。その後、江戸城に近いことからさらに大名屋敷が建ち並ぶようになり、江戸末期に暗殺された井伊直弼をはじめとする多くの大名屋敷があった(それぞれの領地は、数万石から数十万石と大きな差があった)。2003年の旧首相官邸改築工事の際には村上藩内藤家の屋敷跡が発見されている。

明治時代には陸軍省などが置かれていて、当時「永田町」といえば陸軍参謀本部を指す言葉であった。大正に入り、1923年の関東大震災を機に現在の霞ヶ関地区の区画再編が行われ、その後、都立日比谷高校(当時の府立一中)がこの地に移転してくる。

1936年に国会議事堂が完成すると一挙に政治中枢が集中し、「永田町の大物」「永田町に激震」のように、いつしか「永田町」は「政界」の代名詞になっていった。マスコミでは「東京・永田町」のように字幕を出すこともあって、登場回数は多い

* 国会議事堂 - 衆議院、参議院
* 国立国会図書館
* 議員会館
* 内閣総理大臣官邸
* 日枝神社 - 周辺は桜の名所として知られた
* 衆議院議長公邸・参議院議長公邸 - 互いに隣接している
* 自由民主党本部
* 民主党本部
* 社会民主党本部
* 内閣官房・内閣府庁舎
* 憲政記念館
* 都立日比谷高校
* 赤坂エクセルホテル東急
* プルデンシャルタワー - 1982年に火災を起こしたホテルニュージャパン跡地に建設された
* 山王パークタワー - 1936年に二・二六事件の起きた山王ホテル跡地に建設された

原宿

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原宿(はらじゅく)とは、一地区。ラフォーレ原宿、国立代々木競技場などが近くに若者でにぎわっている。発信地となった。
原宿は厳密に言えば表参道の北側を指す地名で、南側は穏田(おんでん)と呼ばれるのだが、現在は原宿と呼ばれることが「原宿」の名を入れた施設も多く見られる。
源義家がこの辺りで軍勢を揃えたとも勢揃い坂と呼ばれている。行賞として、1590年に伊賀者に隠田村と共に原宿村が与えられた、という記述もある。原宿には組屋敷が置かれた。
幕臣の屋敷もあった。雨乞いをよく行っていたという。榛名山に日帰りで詣でた、という話も残されている。
1919年には明治神宮創建に表参道ができた。表参道の顔となった。
戦後は、表参道沿いには富士鳥居といった米兵向けの店が誕生した。
際には、ワシントンハイツの場所に選手村が建設され、外国文化の洗礼を受けた若者たちによって「原宿族」が出現した。ラフォーレ原宿
ラフォーレ原宿

1970年代は、ラフォーレ原宿のオープンや、創刊されたばかりのファッション雑誌「アンアン」や「non-no」により原宿が紹介され、アンノン族が街を闊歩、原宿はファッションの中心地として名声を手に入れた。
そのなかで原宿セントラルアパート(1958年完成)にはクリエーター達が事務所を文化を牽引した。
1990年代は表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープンした。2006年には表参道ヒルズがオープン。
* 1871年 - 東京府豊嶋郡原宿村(廃藩置県により) * 1878年 - 東京府南豊島郡原宿村(郡区町村編制法により) * 1889年 - 東京府南豊島郡千駄ヶ谷村大字原宿(千駄ヶ谷村に編入) * 1896年 - 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿
* 1907年 - 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字原宿(町制施行) * 1932年 - 東京府東京市渋谷区原宿(東京市に編入、竹下町を分離) * 1943年 - 東京都渋谷区原宿(東京都制施行) * 1965年 - 東京都渋谷区神宮前(隠田、竹下町と共に改称)
* 竹下通り
* 裏原宿
* ラフォーレ原宿
* 表参道ヒルズ
* キディランド
* 代々木公園
* 東郷神社
* 太田記念美術館
* ハナエモリビル

* 鉄道駅
o 原宿駅 - 山手線
o 明治神宮前駅 - 東京メトロ千代田線
o 表参道駅(港区北青山に所在) - 東京メトロ銀座線、半蔵門線、千代田線 * 道路
o 明治通り(東京都道305号芝新宿王子線) o 表参道(東京都道413号赤坂杉並線) o 外苑西通り(東京都道418号北品川四谷線)
* 渋谷区立中央図書館

* 渋谷区立神宮前小学校
* 渋谷区立原宿外苑中学校
* 渋谷区立千駄ヶ谷小学校

丸の内

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丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定。
地盤沈下が指摘されたが、近年は丸の内ビルディングなど老朽化したビルの建て替えや、丸の内仲通りにブランドショップ・飲食店を誘致するなど再開発で盛り返している。

徳川家康が1590年に江戸城を居所とする前は、一部で日比谷入江と呼ばれていた。
外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。譜代大名の藩邸がため大名小路とも呼ばれた。南北町奉行や奉行所もおかれた。官有地となり、兵舎・練兵場などとなった。
同時期にロンバート街に倣って赤煉瓦街が建設され、一丁ロンドンといわれるようになった。ビジネス街として急速に発展した。
再開発が急速に進んでおり、2002年に建て替えられた丸の内ビルディングは開業から僅か4ヶ月足らずで入場者数が200万人を突破するなど一躍観光スポットとなった。
音楽祭は、ゴールデンウィークの一大イベントとなりつつある。
その後も2004年9月14日に日本国有鉄道本社跡地、JTB本社跡地、東京中央ビルヂングの跡地に丸の内 OAZOが、その3日後の9月17日に明治生命館を保存しつつ周囲を再開発した明治安田生命ビル(丸の内MY PLAZA)がオープンした。
2007年4月27日には新丸の内ビルディングがオープンするなど、常に注目を浴びる地域となっている。
本社・本店(三菱商事・三菱東京UFJ銀行・三菱UFJ証券・三菱UFJ信託銀行・三菱地所・三菱電機・日本郵船・ニコン・東京海上日動火災保険など) * 丸の内マイプラザ(MY PLAZA) o 明治生命館(重要文化財) o 明治安田生命本社
* 文部科学省(仮庁舎。旧三菱重工業本社)→2008年8月を目処に、みずほFGの本社が移転予定。
* みずほコーポレート銀行本店
* AIGビル
o アリコジャパン本社
o AIU保険会社東京本店
* 丸の内ビルディング
o インテリジェンス本社
* 新丸の内ビルディング
* 丸の内オアゾ
o 日本生命丸の内ビル(日本生命保険東京本部、日立製作所本社) o 丸の内北口ビル(野村総合研究所本社) o オアゾ ショップ&レストラン(丸善丸の内本店) o 丸の内ホテル
* 東京中央郵便局
* 東京国際フォーラム
* 東京會舘
* 東京商工会議所
* 帝国劇場
* 出光美術館
* 日本工業倶楽部会館
* パレスホテル
* TOKIA(東京ビル) * 豊田通商東京本社(豊田通商丸の内ビル) * パシフィックセンチュリープレイス丸の内
o フォーシーズンズホテル丸の内東京

目黒

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目黒(めぐろ)は、東京都目黒区の一地区。目黒一丁目から四丁目まで存在する。
守護のために安置された江戸五色不動の一つ、目黒不動(泰叡山瀧泉寺、目黒区下目黒)は創建と伝える古刹である。
五色不動の中で著名であり、21世紀においても信仰を集めている。当時は、江戸町奉行が管轄する町屋の南西の端に位置していた。
町奉行の支配地域である黒線(墨引)の内側には入っていた。江戸の領域外となるはずだったが、目黒不動尊のために唯一例外として御府内とされた。江戸末期に至るまで武家地としては町人町としてもほとんど機能して寺町として栄えていた名産地であったということからも、状況がしのばれる。
中目黒や下目黒とするわけにもいかず、結局は目黒駅に近いことから目黒と名づけられた。目黒区役所は上目黒にある。
駅前の商店街で毎年9月に行われる目黒のさんま祭りは初秋の風物詩となっている。

【公共機間】
目黒区役所 目黒区上目黒2-19-15 03-3715-1111
北部地区サービス事務所 目黒区大橋1-6-2 03-3496-5208
目黒警察署 目黒区中目黒2-7-13 03-3710-0110
目黒消防署(仮庁舎) 目黒区目黒本庁2-25-13 03-3710-0119
目黒郵便局 目黒区目黒本町1-15-16 03-3792-7114
東山一郵便局 目黒区東山1-1-1 03-3719-9893
水道局・目黒営業所 目黒区中町2-43-18 03-5773-6126
東京ガス・目黒支社 目黒区目黒3-1-3 03-5722-3111
東京電力・品川支社 品川区西五反田5-3-1 03-3493-9221
目黒区立ひがしやま幼稚園 目黒区東山3-24-2 03-3791-4615
目黒区立菅刈小学校 目黒区青葉台3-3-26 03-3461-2569
目黒区立第一中学校 目黒区大橋2-11-1 03-3446-6158
目黒区民センター図書館 目黒区目黒2-4-36 03-3711-1138

八重洲

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八重洲は、東京駅の東側に位置し、東京駅を挟んで反対側(西側)に位置するのが丸の内である。八重洲には、本社を置いたり八重洲の名を冠した企業が多く存在する。
北側の永楽町と江戸城の外壕の内側を地理的概念として存在した。
明治の頃まで京橋方面から丸の内に入るには1884年(明治17年)に呉服橋と鍛冶橋の間に丸の内の「八重洲」に通じる八重洲橋が架けられた。
その後東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、八重洲橋も姿を消した。八重洲口の設置によって八重洲口前を「八重洲」とする地理的な感覚が生まれることになった。
これによって名実共に東京駅の西は丸の内、東が八重洲になった。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月に米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失した。
終戦直後の1949年(昭和24年)に失火により八重洲口が焼失した。焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され八重洲のランドマークと大丸東京店が開業した。
八重洲口は、隣接する丸の内に比べ老朽化したビルが目立ち、再開発は進んでかったが、現在「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められている。
2007年11月には鉄道会館ビルの南北に超高層ツインタワービルグラントウキョウ(住所は「丸の内」)が大丸の移転とともに竣工した。鉄道会館ビルは解体され、2013年春ごろには、跡地にペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場が整備される予定である。鉄道会館ビルの解体により、東京湾側から丸の内側への海風の通り抜けが改善され、ヒートアイランド現象が緩和することが期待されている。同町周辺の管轄にあたる。

中目黒

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中目黒(なかめぐろ)は、東京都目黒区の一地区。中目黒一丁目から五丁目まで存在する。

また、東急東横線・地下鉄日比谷線の中目黒駅は上目黒にあるため、その周辺の中目黒、上目黒、青葉台(一部)、東山(一部)の一帯が一般的に中目黒地域として認識されることが多い。

町名としての中目黒は、東急東横線の東側を通る駒沢通りより、更に東側の一帯である。町の中央を山手通り・目黒川が通っている。

目黒区役所は上目黒にあり、目黒区の行政の中心地域となっている。

駅前は再開発が進行中で、上目黒二丁目地区に中目黒GT(中目黒ゲートタウン)が2002年4月にオープンした。中目黒GTはタワー棟(120m・地上25階建)、ハイツ棟(地上15階建)、テラス棟(地上6階建)の3棟で構成されている。また、同じく中目黒駅前の上目黒一丁目地区も再開発が進んでおり、2009年には地上45階建のビルが完成する予定である。

駅の高架下や駅周辺は飲食店・パチンコ店などが多く、夜は多くの客で賑わう。山手通り沿いは、マンション・中堅企業のオフィスが混在するほか、近年は飲食店の進出も多い。有名店や人気店もあり、周辺地区に芸能事務所が多いため、芸能人の姿もよく目撃される。 山手通りから離れると、比較的静かな住宅街である。

住宅は、諏訪山を中心とする高級住宅地(古くはフランキー堺をはじめ芸能人ミュージシャンなど)が台地上に、その麓のもともと水田、のちに中小工場地帯であったところに、いわゆる中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多い。また、もともと軍用地であった東山一帯は官舎、団地が多い。賃貸住宅の家賃は、区内の他地区に比べ若干高いといわれる。これは後述する交通の便の良さが一因と考えられている。

山手通りに沿って目黒川が流れている。川沿い(特に中目黒から池尻大橋駅にかけて)には桜並木が整備されており、桜の季節には多くの人で賑わう。近年、川沿いにはカフェ・ファッション・雑貨などの店が増加している。店は比較的小規模ながら、オーナーや店長が若く野心的であり、個性的な店が多かったが、代官山からの回遊性のために、近年はプチ代官山化しつつある。店舗となる物件の少なさ故、家賃が高騰し、徐々に体力のある企業による出店が増えている。

大地主として、朝倉家(ヒルサイドテラス)や祐天寺の存在も忘れてはならない。

駅前では蛇崩川が目黒川とほぼ直角に合流する。蛇崩川は暗渠になっており川は見えない。合流地点は広場となっている。

もともと、竹の子の一大産地であった碑文谷地区とともに都市近郊農村であったが、代官山(青葉台)を流れていた三田用水や目黒川での水車による精米製粉業、染色業、その後、三田用水を工業用水とする硝煙製造、ビール製造(のちのエビスビール)などをてはじめに中小工業地帯となった。その後、現東急電鉄による東横線の住宅地としてのブランド戦略が功を奏し、人気の高い住宅地として開発され現在に至る。

ダイエーの東京出店1号店は中目黒である。(現在の駒沢通りと山手通りの交差点)

中目黒を通る鉄道は東急東横線および地下鉄日比谷線である。東横線経由では渋谷および横浜方面、日比谷線経由では六本木・霞ヶ関・銀座方面へ、短時間かつ乗り換えなしで行くことができ、極めて交通の便が良い。

道路は山手通り(環状六号線)と駒沢通りが交差する地点にあり、自動車での移動の便も良い。また将来は山手通りの地下を首都高速道路中央環状線が通る予定である(ただし、中目黒に出入口を設置する計画はない)。

学芸大学

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学芸大学駅(がくげいだいがくえき)は、東京都目黒区鷹番三丁目にある、東京急行電鉄東横線の駅である。

駅名の由来となった東京学芸大学は1964年に東京都小金井市へ移転している。ただし、東京学芸大学附属高等学校は当駅を最寄り駅として現存している。

* 学芸大学東急ストア…駅構内
* 郵便貯金ATM…駅構内
* 碑文谷公園…徒歩約7分
* 東京学芸大学附属高等学校…徒歩約15分
* 放送大学東京学習センター…学芸大学附属高校に隣接
* 東京地方裁判所民事執行センター…徒歩約13分
* 目黒郵便局…徒歩約15分
* 東京法務局目黒出張所…目黒郵便局に隣接
* ダイエー碑文谷店…徒歩約10分
* 駐日カザフスタン共和国大使館
* 目黒星美学園小学校徒歩15分

開業時の駅名「碑文谷」(ひもんや)は現在の目黒区南部一帯の広域名称。荏原郡碑文谷村が1888年衾村(ふすまむら。現在の目黒区環七通り以南)と合併して碑衾村(ひぶすまむら。1927年に町制を施行して碑衾町)となった際に大字となっていた。駅は碑衾村大字碑文谷字鷹番に設置されたので、大字を駅名として採用した。なお、字「鷹番」は現在の駅所在地名となっている。

「碑文谷」の由来には諸説あるが、一説には鎌倉街道端にあった碑文を刻んだ石に因むとされている。「鷹番」は江戸幕府が設置した目黒鷹場の鷹番屋敷が置かれていたことに因んでいる。

周辺の目黒区側には五本木(テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にも登場)や、三谷(さんや)、唐が崎(からがさき。三谷と共にいずれも正式な町名ではなくなっている)、そして世田谷区側には、後述する東京学芸大学の所在地だった下馬や、それに隣接する野沢がある。

1936年、東京府青山師範学校が近隣の世田谷区下馬町に移転したので、その最寄り駅として「青山師範駅」に改称。以降、「第一師範駅」から「学芸大学駅」へとこの学校の名称と共に駅名も変更した。

東京学芸大学移転時、東急目黒線・東急多摩川線などの路線名変更時、みなとみらい線への直通運転開始時などの節目ごとに駅名を変更するかどうか議論されたが、地域住民の賛同が得られず現在に至っている。

付属高校は残っているものの、大学が移転してから40年以上というかなりの年月が経っている。しかし国立大学の2次試験当日、東京学芸大学受験生が間違えてこの駅に下車することがいまだにあると、一部のマスメディアで取り上げられることがある。

また、百貨店のロゴタイプを模倣したとおぼしき地元企業が散見される。

多摩川

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* 各線の1日平均乗降人員は以下の通りである。
o 東横線 - 12,243人(2006年度、東横線内最下位)
o 目黒線 - 2,292人(2006年度、目黒線内最下位)
o 東急多摩川線 - 2,561人(2006年度、東急多摩川線内最下位)

東横線、目黒線の急行停車駅で、東京急行電鉄の3路線が集結する重要な駅にもかかわらず、3路線とも乗降人員の一番少ない駅である。これは、主たる利用形態が各路線相互間の乗り換えであり、改札を通らないことから乗降人員に数えられていないためである。実際には当駅乗降人員よりも遥かに多い乗り換え利用者がいる。

* 多摩川台公園
* 田園調布せせらぎ公園(多摩川園遊園地/多摩川園ラケットクラブ跡地)
* 東急スイミングスクールたまがわ
* 浅間神社
* 旧巨人軍多摩川グラウンド
* 亀甲山古墳
* 丸子橋
* 東京都道2号東京丸子横浜線(中原街道)

2007年11月3日~11日に行われた多摩川アートラインプロジェクトでは、蒲田駅と共に本部が設置された。また、アートが施された駅のうち最も多くのアートが施された。

* 逢坂卓郎「Rainbow Steps - 虹の階段」
* アトリエ・ワン + 山崎徹也「インフォトンネル」
* 内田繁「山居」
* 枯山水サラウンディング「八水響」
* 渡辺元佳「多摩川“猿” たまがわえん」

* 多摩川沿いには、他にも「多摩川」を駅名に付けた駅(小田急小田原線の和泉多摩川駅、京王相模原線の京王多摩川駅)がある。共に、その路線において東京都側の多摩川に最も近い駅のひとつである。他に近い駅としては東急田園都市線、東急大井町線の二子玉川駅がある。
* 目蒲線分離の見返りとはいえ、急行が当駅に停車したことにより菊名駅以北で実質的に「隔駅停車」(当駅~自由が丘駅は3駅連続停車)となった。東急多摩川線との連絡駅であるが、そのような事情もあり、当駅は特急通過駅となった。
* 目黒線経由東横線直通の臨時列車「みなとみらい号」の停車駅でもある。2006年8月運転分までは目黒線ホームに停車したが、同年12月運転分から目黒線から東横線への転線が田園調布駅に変更されたため、東横線ホームに停車する。
* 当駅での遺失物は目黒駅に収集される。

田園調布

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阪神間モダニズムと呼ばれる時代の小林一三の宅地開発を範として、イギリスの田園都市構想を参考に近代に開発された近郊住宅地がその始まりである。高度成長期の頃より、兵庫県芦屋市、神戸市東灘区御影と並ぶ高級住宅街として併称されるようになった。特に駅西側に広がる、扇状に整備された区画一体は、銀杏の並木と相まって「高級住宅地」としての趣を備えており、国土交通省の都市景観100選にも受賞している。

田園調布の町名には、大田区の田園調布一丁目~五丁目・田園調布本町・田園調布南、世田谷区の玉川田園調布一丁目,二丁目がある。高級住宅街のイメージで語られる際の「田園調布」とは、駅西側に広がる扇状の街路付近大田区田園調布三丁目を中心とした一帯を指す。

駅東側や、東急東横線多摩川駅付近、東急多摩川線沼部駅が最寄の田園調布本町、田園調布南は、高級住宅地として語られる地区とは町の成立過程が異なる。田園調布本町、田園調布南は、古くは上沼部村、下沼部村であった地域で、のち東京市大森区田園調布一丁目、二丁目であった。1970年の住居表示実施にあたって田園調布駅東側地区が一丁目、二丁目となるに際し、沼部駅付近の旧一丁目、二丁目一帯は、現在の「-本町」「-南」と改称された。

開発当初は日本の都市に新たに出現した中堅層向けの住宅地であったが、良好な住宅環境であったことから次第に評価が高まった。現在も長嶋茂雄、石原慎太郎、五木ひろし、中井貴一、野村克也・沙知代など著名人や芸能人が多く住んでおり、政治家、芸能人、スポーツ選手以外にも、日本を代表する企業のオーナーや社長の邸宅が立ち並んでいる。1980年代には星セント・ルイスのギャグのネタ(「田園調布に家が建つ!!」)にもなった。かつては鹿内春雄・頼近美津子夫妻や横井英樹、中内功、高峰三枝子の家もあった

多摩川沿いでは奈良時代頃に布を調(税としての特産物)として納めており、これに由来する調布という地名が散見される。

現在の田園調布本町、田園調布南の地域は古い文献には荏原郡沼部郷とみえる。江戸期には上沼部・下沼部の2村が並立した。明治時代の市町村制により鵜の木・峯・上沼部・下沼部の4村が合併し、調布村となった(1889年)。1928年には町制を施行した。当時、東京府内には、北多摩郡調布町(現調布市)及び西多摩郡調布村(現青梅市)が存在したが、荏原郡調布村は町制施行にあたり、既存の調布町との町名の重複を避けるため、東を冠し東調布町とした。

住宅地としての起源は1923年に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことによる。目黒蒲田電鉄の調布駅が開設され、1926年に田園調布駅と改称した。田園調布の名称、開発当初ははこの田園都市会社が分譲した地域(現在の大田区田園調布二丁目・三丁目、世田谷区玉川田園調布一丁目・二丁目にあたる地域)を指したが、その後町名は隣接する下沼部一帯を併せて「田園調布」になった。

大田区側を管轄する警察署や消防署は、「東調布警察署」「-消防署」を名乗ったが、1987年12月に警察署が、1994年11月1日に消防署がそれぞれ「田園調布-」と改称した。

会社(事業体)では東調布信用金庫があったが、統合により芝信用金庫が継承している(2005年現在)。

地元自治会として「田園調布会」がある。この会は、環境保護に厳格であり、住宅の新改築に際しては厳しい制限を求めており、かつて鈴木その子や折口雅博らの住宅改築に際に、クレームをつけている。

福島県西白河郡大信村(現 白河市)では、村が造成した宅地に「田園調布」という名前をつけようとしたが、大田区の田園調布会に相談したところ難色を示されたため、字を変えて「田園町府」とした。この村には他に「赤坂」という宅地や「青山墓地」という村営墓地など、東京の地名・施設名と同じものがあった。

豊洲

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中央区月島・晴海の南方、江東区東雲・有明の北方、江東区枝川の西方に位置する。

鉄道の駅は東京メトロ有楽町線・ゆりかもめの豊洲駅、ゆりかもめの新豊洲駅、市場前駅が設置されている。幹線道路は晴海通りが通る。

大まかに北側(豊洲一丁目から豊洲五丁目)と南側(豊洲六丁目)のブロックに分けられる。

元々は工業地が多くを占めたが、現在は区画整理、大規模再開発が盛んで、中高層の共同住宅、商業施設が多くなっている。築地市場機能の移転先(豊洲新市場)である。東京湾埋立5・6・7号地。

昭和12年7月、この埋立地に町名がつけられる際、将来の発展を願い、豊かな土地になるように「豊洲」とした。

* 豊洲一丁目 - 第3期隅田川改良工事の5号埋立地に起立。
* 豊洲二丁目 - 第3期隅田川改良工事の5号埋立地および豊州突堤埋立工事、豊州拡張埋立工事で起立。
* 豊洲三丁目 - 枝川改修工事の7号埋立地に起立。
* 豊洲四丁目 - 枝川改修工事の6号埋立地に起立。
* 豊洲五丁目 - 第3期隅田川改良工事の5号埋立地および豊州物揚場背面埋立工事で起立。
* 豊洲六丁目 - 豊洲突提先埋立工事で起立。

1923年(大正12年)の関東大震災の瓦礫処理で江東区豊洲などが埋め立てられた。

工業地として発展し、20世紀後半までに、石川島播磨重工業などの工場、新東京火力発電所(東京電力、廃止)などの他に、種々の流通設備が立地し、さらに関係者向けの商店、社宅等もあるという状況が続いた。この時代、日本初のコンビニエンスストア、当時珍しかったスポーツクラブ(ドゥ・スポーツプラザ)も設置された。

転機としては、有楽町線開通、産業構造の変化などがある。

豊洲センタービルなどオフィスビルの立地、その後、再開発、区画整理が本格化し、マンション建設ラッシュも見られ商業地、住宅地への移行が進んでいる。さらに大規模な商業施設の立地も進み、日々姿が変わっていく過程にある。

一方、豊洲新市場の土地は東京ガスの都市ガス製造工場の跡地であるが、土壌には環境基準を大幅に上回るヒ素、シアン、ベンゼンなどの汚染物質が含まれていることが明らかになった。2001年に同社が公表している。

さらに2007年10月6日の専門家会議では、環境基準の1000倍に当たる高濃度の有害物質ベンゼンが検出されたと報告された。1000倍の数値を計測した地点は、これまでの調査から、高い濃度は予想されていなかった。

* 豊洲IHIビル(IHI(旧石川島播磨重工業)本社)
* 豊洲センタービル・同アネックス(NTTデータ本社)
* 豊洲ONビル(日本ユニシス本社)
* 東京電力新豊洲変電所・テプコ豊洲ビル(ビッグドラム)

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