銀座(ぎんざ)は、繁華街の一つ。繁華街の代名詞的存在となっており、高級商店街、繁華街としては世界的にもその名が知られている。「洗練された大人の街」として活況を呈し、日本でも繁華街を形成している。
北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。江戸城外堀を埋め立てた東京高速道路の1・2階部分は商店街となっているが、行政区画が部分もあり、俗に銀座九丁目・銀座西◎丁目地先などと呼ばれる。
北東から南西にかけて町を貫く銀座通り(中央通り)を中心にグリッド状の街区が構成されており、平行して外堀通りと昭和通りが、北西から東南にかけて晴海通りといった大通りが町を貫いている。
東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に島であった。
昭和通りの南東に位置する地域は、地域だったが、埋め立てにより銀座と地続きとなったことから銀座東と改名し、銀座に統合された。
首都高速都心環状線を挟んだ地域も含めて東銀座駅を最寄りとする一帯は、一般的に東銀座と呼ばれている。数寄屋橋を中心とする地域はかつて銀座西という町名だったが、地下鉄丸ノ内線の西銀座駅(現在の銀座駅)があったりしたことから町名が銀座となった今でも広く西銀座と呼ばれている(例:西銀座デパート・西銀座チャンスセンター・西銀座通り)。
銀座に転機が訪れたのは、明治維新後の1869年と1872年に起こった2度の大火だった。
銀座大火は兵部省添屋敷から出火し、銀座一円が焼失するという大規模なものであった。
整理後も払下げ価格が高価なうえに支払い条件が厳しく、住民たちは銀座を後にせざるを得なかった。かわりに、地区で成功を収め、煉瓦街に進出してきた商人たちが銀座の表通りで商売を始めた。出発した銀座には特色があった。
京橋区という下町にありながら、顧客は主に手に住む中産階級、ホワイトカラーの人々だったということである。下町の人々の盛り場は、浅草・上野だった。維新後に東京へ出てきた人々は、同じく明治に入って急速な発展を遂げた銀座に集うようになり、こうした地方出身者と中産階級の増加に伴って、銀座も発展をしていった。
J.フロント リテイリング
中越パルプ工業
王子製紙
紀文食品
資生堂
日産自動車
三城
リコー
ヤマトホールディングス
大和自動車交通
電源開発
東映
東京テアトル
不二家
博品館
天賞堂
山野楽器
東京海上日動あんしん生命保険
時事通信社
ぎょうせい
実業之日本社
大日本図書
マガジンハウス
読売広告社
駅前探険倶楽部
リクルート
食においても、銀座は西洋の味覚を紹介する場となった。
1895年には「煉瓦亭」が開業し、カツレツなどの洋食を日本全国へ波及させた。銀座で調剤薬局を営んでいた資生堂は1902年、店舗内に「ソーダ・ファウンテン」(現・資生堂パーラー)を併設し、ソーダ水やアイスクリームを売りだした。他にも、1897年に開業した輸入果物の販売やフルーツパーラーを開業するなど、銀座には様々な食文化が流れ込んだ。カフェを模した「カフェープランタン」が開店し、作家や画家などの文化人の社交場となった。
その後も「カフェーパウリスタ」や「カフェーライオン」などが続々と開店し、学生なども出入するようになり、議論が盛んに行われた。流行とともに大衆化・俗化し、カフェーは全盛を極めることとなった。銀座は高級料理店や料亭、高級クラブなどが立地する街として認識されるようになっていった。
1号店が銀座に開店した。進出し、その後も「サンマルクカフェ」や「ル・カフェ・ドトール」の1号店の開店が相次ぎ、銀座はカフェの激戦地となったほか、カフェブームを全国へと広げる舞台にもなった。
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