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関東地下鉄のマンション

新宿線

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新宿線(しんじゅくせん)は、東京都新宿区の新宿駅から千葉県市川市の本八幡駅までを結ぶ、東京都交通局の運営する鉄道路線(地下鉄)。正式名称は10号線新宿線である。東京都交通局が運営する地下鉄路線では唯一、東京都外まで路線が延びている。

なお、西武鉄道にも新宿線が存在する。

路線名の由来は、高層ビル街や歌舞伎町など繁華街や飲食店が立ち並ぶ新宿から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「リーフ」(黄緑)

ATCシステムの関係で、東京の地下鉄では唯一VVVFインバータ制御車の走らない路線だったが、2005年5月14日に新ATCシステム(デジタルATC)への更新が行われ、21日から新宿線初のインバータ制御車10-300形が運用を開始した。なお、先頭車を新造して中間車は在来車のままとする10-300R形については1月20日から運用が開始されている。また、京王9000系も翌2006年3月15日より乗り入れを開始した。

東京地下鉄東西線同様、中央・総武緩行線のバイパス的役割を担っているが、ラッシュ時の混雑率は東西線よりも低い。


経営状況
収支状況は2004年度決算で純損益約85億9,710万4,000円の黒字([1]の5ページ目)、2005年度決算で約85億8092万0000円の黒字([2]の7ページ目)である。都営地下鉄の路線としては黒字額が最も大きい。

本来は、本八幡から千葉ニュータウン方面(印旛松虫、北総鉄道北総線印旛日本医大の当時の仮称)を結ぶ千葉県営鉄道が接続し、直通運転を実施する計画であったが、現在に至るまで実現していない(運輸政策審議会答申第18号では削除された)。ただ、千葉県は名称を「東京10号線延伸新線」と改め、本八幡~新鎌ヶ谷間について、第三セクターにより将来的に事業化する方向で、調査検討を進めていく方針を千葉県議会で表明した。だが、競合路線となる北総鉄道の現在の経営状態からして、その採算性に疑問を抱く意見も少なくはない。一方、新鎌ヶ谷~柏方面への接続も視野に入れて検討している。ただし、新鎌ヶ谷~柏間は東武野田線が既に並行しているため新たな建設について微妙なところである。

多くの電車が新宿駅(新線新宿駅)から先京王新線に直通し(日中は新宿止まりが20分間隔)、そのうち約7割が笹塚駅止まりで、約3割がその先京王線と相模原線の橋本駅まで相互直通運転を実施している。新宿~本八幡の全区間に亘って急行運転を行っている(列車種別参照)。

日中は20分サイクルに橋本直通の急行が1本、笹塚折り返しの各停が2本(瑞江または岩本町で急行通過待ち)、新宿折り返しの各停が1本(急行の通過待ちはなし)が走るパターンダイヤとなっている。

また、土日祝日のみ直通電車のうち、2本が調布から相模原線に入らず高尾線高尾山口駅まで、1本が動物園線多摩動物公園駅まで直通している。1997年(平成9年)12月から2003年(平成15年)12月までは高尾線方面に平日にも通勤快速が直通していた。
新宿 新宿三丁目 曙橋 市ヶ谷 九段下 神保町
小川町 岩本町 馬喰横山 浜町 森下 菊川
住吉 西大島 大島 東大島 船堀 一之江
瑞江 篠崎 本八幡

三田線

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三田線(みたせん)は、東京都品川区の目黒駅から板橋区の西高島平駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(地下鉄)。正式名称は6号線三田線である。

路線名の由来は名称制定時の終着駅である三田から。車体・路線図・乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ブルー」(青)

東京特別区部の南部から都心部の日比谷・大手町を経由し、北西部の板橋区まで、おおむね南北を弓なりに(西に向いた逆C字型)走る路線である。目黒駅~白金高輪駅間は東京メトロ南北線と駅施設を共用し、目黒駅で東急目黒線と直通運転を行っている(詳細は#運転を参照)。

この路線は高島平駅側より開業したが、起点は目黒駅(2000年9月26日~)である。ワンマン運転を実施しており、保安装置としてホームゲートシステム(東京都交通局での公式名称・日立製作所製)を全駅に装備する。

収支状況は、2004年度決算で純損益が約16億2,131万6,000円の赤字[1]、2005年度決算で約14億8,247万4,000円の黒字[2]で、着実に改善している。

直接のルーツとしては、1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現在の東京メトロ東西線)の分岐線として示された大手町~下板橋間の計画が元となっている。1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、分岐線は6号線として切り離され、その後5号線を営団が、6号線を東京都が建設することになった。なお、本答申では6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町・巣鴨および大和町(やまとちょう、板橋区。国道17号(中仙道)と環七が交差する付近)の各方面を経て上板橋(上板橋駅)および志村(現:高島平駅)の各方面へ至る路線として示された。軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込~泉岳寺間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定であった。


保安装置ATS・三田駅発着時代(1999年・新高島平)しかし、1964年(昭和39年)に大和町(やまとちょう)~上板橋間を取りやめて志村から東武東上線の大和町(やまとまち、現・和光市)まで延伸すること、並びに泉岳寺~西馬込間は1号線の分岐線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線)で桐ヶ谷へ延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時、現在の大井町線)と接続するよう答申が改訂され、軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後東武からの「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れにより、東武が志村駅~大和町駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に改められた。また馬込検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。

この頃路線や車両の規格を決定する必要があった為、三田線は全体的に東武鉄道とよく似た規格で作られた。ただし後述の東急目黒線等との相互直通運転に伴い、後になって東武以外の規格に入れ換えられた部分も存在する。

ところが、その翌1965年(昭和40年)に東武東上線は8号有楽町線に、東急田園都市線も11号半蔵門線(但し当時は東急玉川線の規格を踏装して銀座線程度の小型車で計画)への乗り入れを目指す計画に変更され(池上線の計画は実現せず)、三田線の直通計画は宙に浮いてしまった。この件では、両社、特に東急に対して都は抗議を行ったが、結局東急・東武の意向に押し切られた。これ以降、三田駅以南の計画は未定のまま高島平駅~三田駅間のみを着工することになった。高島平駅~西高島平駅間は上記の東武の連絡線の区間であるが、都が免許を譲り受けて着工することになった。都は規格の統一の点から浅草線と同様の1435mm軌間で計画されていたのを東急・東武の申し出で1067mm軌間に変更したのに一方的に中止を申し出たので、当時、この件に関しては都側は「甚だ信義にもとる行為であり、この計画に関して東急側に強く翻意を即す」と猛烈に抗議した。

このため、後年東急目黒線と相互直通運転を行うまではどの他社線とも直通運転を行うことはなかった。

西高島平 新高島平 高島平 西台 蓮根 志村三丁目
志村坂上 本蓮沼 板橋本町 板橋区役所前 新板橋 西巣鴨
巣鴨 千石 白山 春日 水道橋 神保町
大手町 日比谷 内幸町 御成門 芝公園 三田
白金高輪 白金台 目黒

浅草線

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浅草線(あさくさせん)は、東京都大田区の西馬込駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(地下鉄)。正式名称は1号線浅草線である。

全線に亘って地下を走行する。路線名の由来は下町のイメージが色濃く残り、かつ国際都市でもある浅草から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ローズ」

東京都特別区の地域を、南部から中央部・墨東地域に掛けて走る。泉岳寺駅で京急本線と、押上駅で京成押上線と接続し、それぞれ直通運転を行っている(詳細は運行概況を参照)。

線区は概ね総武本線、銀座線、京浜東北線といった既設の旅客流入路線のバイパスとなる線形をとり、直通による頻発運転を行っていることもあり、朝ラッシュ時の最混雑率は121%(平成17年度)と東京の地下鉄では低いレベルにある。

収支状況は平成17年度決算で純損益約61億円の黒字[1]である

下の鉄道路線との乗り入れが存在し、相互直通運転の多様性が特色として挙げられる。大部分の列車が他社線と直通し、終点駅である押上折り返しの列車は少ない。列車は最大で4事業者に跨って運転されるが、これはパスネットにおける改札内乗継回数の上限と重なる(但し、芝山鉄道線内ではパスネット使用不可)。

押上経由
京成電鉄:押上線・本線・東成田線
北総鉄道:北総線
芝山鉄道:芝山鉄道線
泉岳寺経由
京浜急行電鉄:本線・久里浜線・空港線・逗子線
泉岳寺から南方向は京急線直通旅客の便を図り、品川・羽田空港・横浜方面への列車を多く運転している。支線的位置付けの西馬込~泉岳寺間については区間運転列車も多く存在し、日中は同区間の列車の3分の2にも及ぶ。

列車種別については、浅草線内も通過駅のあるエアポート快特があり、このほか「各駅停車」でなく「普通」の表示を用い、乗り入れ先で急行運転となる列車は「快特」、「急行」など当該種別を表示する(各駅に停車)。乗り入れ前後で種別が変わる列車もあり、種別変更は押上・泉岳寺・品川で実施される。なお、京急線に直通する普通列車は平日2本と土曜・休日1本の品川行のみである。

乗り入れ先である京急本線・北総線が20分サイクル、京成本線・押上線が40分サイクルのパターンダイヤなので、浅草線でも40分サイクルのパターンダイヤが組まれている。日中の1時間当たりの運行本数は原則として以下の通り。

西馬込駅~泉岳寺駅 6本
西馬込駅~押上駅~(普通・急行)~京成高砂駅(一部青砥駅) 3本
南行は半数が京成線内急行で、泉岳寺で始発の快特に接続。北行はすべて普通で、半数が押上でエアポート快特を退避。
三崎口駅・京急久里浜駅~(快特)~泉岳寺駅~押上駅~(普通・急行)~青砥駅・京成高砂駅 3本
北行の半数は京成線内急行。南行の半数は押上でエアポート快特を退避。
羽田空港駅~(快特)~泉岳寺駅~押上駅~(快速)~京成佐倉駅 3本
半数はエアポート快特。
羽田空港駅~(急行)~泉岳寺駅~押上駅~(普通)~印旛日本医大駅・印西牧の原駅 3本
毎時1本は印西牧の原駅発着。
全体では、西馬込駅~泉岳寺駅間が毎時9本、泉岳寺駅~押上駅間が毎時12本(うち8本に1本はエアポート快特)の運転となる。日中は泉岳寺駅で接続が図られ、西馬込発着の電車と京急線内発着の電車との乗り換えがしやすくなっている。

箱根駅伝開催日は京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を選手が通過するため、毎年臨時ダイヤが組まれ、選手の通過時間に合わせ、一部の羽田空港行きが京急川崎行きに変更になる。

押上 本所吾妻橋 浅草 蔵前 浅草橋 東日本橋
人形町 日本橋 宝町 東銀座 新橋 大門
三田 泉岳寺 高輪台 五反田 戸越 中延
馬込 西馬込

南北線

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南北線(なんぼくせん)は、東京都品川区の目黒駅から北区の赤羽岩淵駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は7号線南北線である。

路線名の由来は東京を南北に貫くことから。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「エメラルド」

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京7号線は、目黒方面より飯倉片町・永田町・市ヶ谷・駒込及び王子の各方面を経て赤羽方面に至る路線として示された。その後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では、目黒~清正公前(白金高輪駅)~麻布十番~永田町~市ヶ谷~駒込~王子~岩淵町(赤羽岩淵駅)~鳩ヶ谷市中央部~東川口~浦和市東部間を新設し、目黒駅において東京急行電鉄目蒲線と相互直通運転を行うことが示された。このうち目黒~赤羽岩淵間は南北線として順次開業している。

7号という路線番号が示す様に、計画そのものは1960年代になされていたが、着工は大幅に遅れ、1991年(平成3年)に部分開業、2000年(平成12年)に全線開業した。全体的に地中深い駅が多い。

全線でATOによる自動運転、ワンマン運転を実施しており、全駅にホームドアシステム(川崎重工業製)を装備する。

目黒駅~白金高輪駅間は、東京都交通局が第二種鉄道事業者となり、都営三田線と共用で営業している。このため、運賃計算方法も、同区間については東京地下鉄・東京都交通局間の協議により、以下のように定められている。

目黒駅~白金高輪駅~麻布十番駅以遠
東京メトロの定める運賃による
目黒駅~白金高輪駅~三田駅以遠
都営地下鉄の定める運賃による
目黒駅~白金高輪駅相互間の場合
東京メトロ・都営地下鉄のうち利用者に有利な扱いをする特定区間となっており、現行ではより低額な東京メトロの運賃表を一律に適用している。また、定期券と回数券は当該区間に通用するものを両者で同額により発行している。また、白金高輪~目黒間は都営三田線の一部として、東京都シルバーパスで乗車できる(他の東京メトロ線には不適用)。
なお、目黒~白金高輪間は東京メトロ施設の扱いになる(該当区間は東京地下鉄が第一種鉄道事業者)ので、都営地下鉄の区間で行っているAMラジオ再送信を行っていない。

目黒駅から東急目黒線の武蔵小杉駅まで、赤羽岩淵駅から埼玉高速鉄道線の浦和美園駅までそれぞれ相互直通運転を実施している。

この他、臨時列車「みなとみらい号」が横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅と埼玉高速鉄道線浦和美園駅間に運転される場合があるが、これには埼玉高速2000系が運用に就き、9000系は運用されない。2006年8月運転分までは停車駅が当線と埼玉高速鉄道線・東急目黒線内は各駅停車、東横線と横浜高速みなとみらい線は急行運転で、目黒線から東横線への転線は武蔵小杉駅だったが、12月運転分から停車駅が当線と埼玉高速鉄道線内は各駅停車、東急目黒線・東横線と横浜高速みなとみらい線内は急行運転に、同時に目黒線から東横線への転線は田園調布駅で行っている。なお、2005年2月11日に都営三田線高島平駅から「みなとみらい号」が運転された際には、王子神谷駅~白金高輪駅で接続臨時列車「みなとみらいリレー号」が運転されていたが、これには9000系を運用していた。

また、東京湾大華火祭の開催日にも有楽町線の新木場駅へ直通する臨時列車「レインボー号」が運転されているが、こちらは9000系の転落防止器具取付車が運用にあたる。

2004年8月には、都営三田線の6300形(6331F)が試験のために埼玉高速鉄道の浦和美園車両基地へ行く際に南北線白金高輪~赤羽岩淵間を深夜に走行した実績がある。

なお、2006年9月25日より東急目黒線直通列車の一部が同線内にて急行としての運行を開始した。同線で急行運転が開始された後も南北線内及び相互直通運転をしている埼玉高速鉄道線は各駅停車での運転となっている。なお、南北線内での種別表示については、目黒方面行の急行列車のみ行い、目黒線内を急行として運行して来たものを含むすべての赤羽岩淵方面行の各駅停車の電車は、行先のみを表示している。また、半蔵門線と同様に南北線内では「各停」の表示を行わない。

また、東急線と建設予定の神奈川東部方面線を経由しての相模鉄道との直通運転も2019年度を目途に検討されている。

目黒 白金台 白金高輪 麻布十番 六本木一丁目 溜池山王
永田町 四ツ谷 市ヶ谷 飯田橋 後楽園 東大前
本駒込 駒込 西ヶ原 王子 王子神谷 志茂
赤羽岩淵

大江戸線

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大江戸線(おおえどせん)は、東京都交通局が運営する鉄輪式リニアモーターの鉄道路線(地下鉄)。正式名称は12号線大江戸線である。東京都練馬区の光が丘駅~新宿駅間の放射部と、新宿駅から反時計回りに都庁前駅に至る環状部から構成される。環状運転を行っているが、山手線などとは異なり「Oの字型」運転ではなく、「6の字型」運転である(運行形態については後述。他の環状運転の例は環状運転参照)。

路線名の由来は東京の古称である大江戸から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ルビー」○E

東京の地下鉄では最深部を走行しており、耐震性に富み、災害時には救助作業の大動脈として利用されることになっている。

大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線に次ぎ、日本で2番目に採用された鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄である。千代田線を除く東京の全地下鉄路線と接続している。また、都営地下鉄では初めて当初よりワンマン運転を実施している。

開業当初は都市計画路線名の「12号線」のまま営業を行っていたが、2000年(平成12年)の環状部新宿駅~国立競技場駅間の開業に先立ち、1999年(平成11年)8月に路線名の公募が行われた。その結果、11月末に「東京環状線」(愛称として「ゆめもぐら」)が候補に挙げられた。この選考は高原須美子(当時プロ野球セントラル・リーグ会長)によるものである。

しかし石原慎太郎東京都知事は「(完全な)環状運転しないのに『東京環状線』では紛らわしくて山手線とか大阪環状線を使っている人に迷惑」「俺は『大江戸線』でいいと思うけどね」などとしてこれを却下するとともに、当初の愛称であった「ゆめもぐら」も採用を見合わせた。改めて審議を行った結果、翌12月15日に「大江戸線」に決定した(正式名称は「12号線大江戸線」となる)。実際、大江戸線の環状部は、江戸の範囲(明治期になり東京15区)をまさに囲むように走っている。

後発で建設された地下鉄路線のため既存の路線より深部を走り、全般的に駅ホームがかなり深い上、乗換駅では既存の路線の駅からかなり離れた場所に位置することが多いため、ホームから地上までの移動や乗換えに時間がかかることが多い。余談ではあるが、テレビ朝日のバラエティ番組「タモリ倶楽部」において、大江戸線の一駅間を移動するのに大江戸線乗車と徒歩でどちらが速いかという企画があり、いくつかの駅間では徒歩のほうが速く着くことが実証されている。特に六本木駅は都内で一番深い(下部の内回り1番線ホームが地下42m)地下鉄駅である。

全線がトンネル(地下区間)であり、連続した地下鉄トンネルとしては日本最長である。「鉄道のトンネルとして青函トンネルに次いで日本で2番目に長い」、という言い方もできなくはない。

都庁前駅と新宿駅を除く環状部の26駅では、公募プロボーザル方式により駅デザイン(主に内装)を土木業者とは別の建築などの設計事務所に委託した。従来の路線は、地上部だけをデザイナーと設計事務所が関わり、ホームやコンコースは土木業者が設計デザイン施工をするため画一的なデザインとなることが多かった。

その点、大江戸線はコストとの兼ね合いで駅全体の設計そのものにはデザイナーが関わっていないものの、地下部のデザインに全面的に関わる事になった試みとして評価されている。これらにより、2001年には一部の駅がグッドデザイン賞建築・環境デザイン部門の金賞、インター・イントラ スペースデザイン セレクションの大賞及び土木学会技術賞を受賞している。

都庁前 新宿西口 東新宿 若松河田 牛込柳町 牛込神楽坂
飯田橋 春日 本郷三丁目 上野御徒町 新御徒町 蔵前
両国 森下 清澄白河 門前仲町 月島 勝どき
築地市場 汐留 大門 赤羽橋 麻布十番 六本木
青山一丁目 国立競技場 代々木 新宿 都庁前 西新宿五丁目
中野坂上 東中野 中井 落合南長崎 新江古田 練馬
豊島園 練馬春日町 光が丘

半蔵門線

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半蔵門線(はんぞうもんせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)の鉄道路線。正式名称は11号線半蔵門線である。

路線名の由来は徳川家康の家臣・服部半蔵正成の屋敷の側にあった事から名が付いた江戸城の門の一つ、「半蔵門」から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「パープル」(紫)

1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京11号線は、二子玉川園駅(現・二子玉川駅)~渋谷駅~半蔵門駅~蛎殻町(水天宮前駅)~深川扇橋駅間の路線とされた。その後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号において、蛎殻町(水天宮前駅)~住吉駅~四ツ木駅~松戸駅間が追加され終点が松戸まで延長された。このうち渋谷駅~押上駅間が半蔵門線として順次開業している。

千代田線、有楽町線に次ぐ「バイパス3路線」の1つで、銀座線の混雑緩和を狙いとしていたが、反対運動が発生したこと、さらにバブル崩壊とそれに伴う営団の減収などが原因で全通が当初予定より大きく遅れることとなった。

東京メトロの路線の中で全駅間の所要時間が最も短く(距離は銀座線の方が2.5km短い)、また現在東京メトロの路線の中で駅数が最も少ない。ちなみに、直通運転先(東急田園都市線中央林間駅~東武日光線南栗橋駅間)を含めた運転距離は98.5kmもあり、これは東京メトロの車両としては一番のロングラン運転となる。

東京急行電鉄(東急)、東武鉄道(東武)と3社相互直通運転をしており、半蔵門線を挟んで東急側は渋谷駅から田園都市線の中央林間駅まで、東武側は押上駅から伊勢崎線久喜駅及び東武動物公園駅から分岐して日光線の南栗橋駅までそれぞれ運転される。東急田園都市線へは一部を除きすべての列車が直通しており一体的に運用されている。

東武伊勢崎線への直通列車は、押上延伸当初は日中1時間3本(約20分毎)の運転だったが、2006年3月18日のダイヤ改正から大幅に増発し、ほとんどの時間帯で1時間6本(約10分毎)となっている。なお直通列車は急行または準急(朝・深夜のみ運転)に限られる。

乗り入れ先の鉄道会社の運用・乗客案内上、各駅停車・準急・急行と3種別の表記が使用される事になるが、いずれも半蔵門線内は全て各駅停車となる(臨時列車除く)。これらの種別は1つの列車につき直通3社間で一定というわけではない。

例えば東武伊勢崎線内で急行運転でも、東急田園都市線内で引き続き急行運転とは限らない。東武伊勢崎線・日光線に直通運転する東急田園都市線の列車は渋谷駅で準急または急行に、東急田園都市線に直通運転する東武伊勢崎線の列車は押上駅で各駅停車または急行にそれぞれ列車種別が変化する。これは都営浅草線や湘南新宿ラインでも見られる運行形態である。また、南北線と同様に半蔵門線内では「各停」の表示を行わない。

渋谷 表参道 青山一丁目 永田町 半蔵門 九段下
神保町 大手町 三越前 水天宮前 清澄白河 住吉
錦糸町 押上

有楽町線

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有楽町線(ゆうらくちょうせん)は、埼玉県和光市の和光市駅から東京都江東区の新木場駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線である。

正式名称は小竹向原駅~新木場駅間が8号線、和光市駅~小竹向原駅間が13号線であるが、国土交通省監修『鉄道要覧』では和光市駅~新木場駅間が8号線有楽町線と記載されている。

路線名の由来は銀座に次ぐ繁華街の有楽町から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ゴールド」(金)

1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京8号線は、保谷駅~練馬駅~小竹向原駅~豊洲駅~湾岸(新木場駅)間及び豊洲駅~亀有駅から武蔵野線方面までの路線とされ、それまで8号線とされていた志木~向原間は東京13号線に組み込まれた。その後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号において、保谷~練馬間の複々線化、練馬~新桜台間・新富町~新木場間・豊洲~亀有間の新設が示された。このうち小竹向原駅~新木場駅間は有楽町線として順次開業した。

一方上記答申第15号にて新たに13号線とされた小竹向原以西については、渋谷駅~池袋駅~小竹向原駅~和光市駅~志木駅のうち池袋駅~小竹向原駅~志木駅間が建設され、このうち小竹向原駅~和光市駅間が有楽町線として、和光市駅~志木駅間が東武東上線の線増分(複々線化)としてそれぞれ開業した(ただし池袋駅~営団成増駅間延伸時は、まだ13号線の認可が下りていなかったため、小竹向原駅以西の13号線部分は8号線に編入したうえで8号線の予算で建設された。開業後に13号線に戻されている。[1])。なお、13号線の小竹向原駅~池袋駅(新線池袋駅)間は有楽町線新線として既に営業(ただし、同駅間の千川駅、要町駅については未開業)しており、有楽町線の複々線となっている。

今後の整備計画として、8号線については豊洲駅から分岐して野田市駅までの延伸計画がある(詳細は地下鉄8号線延伸構想の項を参照)。また、13号線については新線池袋駅から西早稲田、新宿三丁目を経て渋谷駅に至るルートが2008年6月の開業に向けて現在建設中である(詳細は東京地下鉄副都心線の項を参照)。

建設目的の一つには、車体規格が小さく路線有効長も短いことから輸送力増強に限界のある丸ノ内線の混雑緩和があった。しかし乗り換えが不便であったことから、当初は乗り換えの便の良い丸ノ内線を継続利用するケースが多かったと見られ、日比谷線に対する千代田線ほどの開業効果があったとは言い難い。

また、1974年の銀座一丁目~池袋間の開通にあたり、当時の営団として丸ノ内線中野坂上駅に次いで自動改札が導入された。これは、当該区間では他線との改札内連絡がなかったため、自動改札の実験線区として好適だった理由による。しかし、非自動化券を自動改札に投入されるトラブルが相次ぎ、営団成増(現・地下鉄成増)延長時に撤去され、試みは失敗した。当時関西においては自動改札の導入が順調に進んでいたが、この営団の失敗により、首都圏での自動改札の導入は大きく遅れることとなった。

沿線には、警察庁・警視庁・皇居・国会議事堂といった日本の重要機関・施設や、講談社・TBS・日本テレビ(旧本社)・FM東京・朝日新聞・スポーツニッポンといった報道機関や出版社が存在する。

和光市 地下鉄成増 地下鉄赤塚 平和台 氷川台 小竹向原
千川 要町 池袋 東池袋 護国寺 江戸川橋
飯田橋 市ヶ谷 麹町 永田町 桜田門 有楽町
銀座一丁目 新富町 月島 豊洲 辰巳 新木場

東西線

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東西線(とうざいせん)は、東京都中野区の中野駅から千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は5号線東西線である。

路線名の由来は東京を東西に直通する意味から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「スカイ」(水色):○T。タバコの「ハイライト」の色から取られたという。そのため、当時の営団内ではラインカラーはハイライトブルーと呼ばれていた。

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京5号線は中野方面より高田馬場・飯田橋・大手町・茅場町および東陽町の各方面を経て船橋方面へ向かう路線として示された(当答申では、5号線の終点が東陽町から船橋に変更されて国鉄線と接続することが示された他、5号線の分岐線である大手町~下板橋間が6号線として切り離された)。その後1964年(昭和39年)には、経由地を浦安・行徳とし、西船橋で総武線と接続するよう答申が改訂された。さらに1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では西船橋~勝田台間の新設が示されている。このうち、中野~西船橋間は東西線として順次開業した。

線形が良い地上区間は軌道改良も行われており、現在は60kgのレールが採用されている。これはJR線では新幹線や主要幹線クラスに採用されるレールであり(一般的には50kgが主流)、大量高密度輸送と高速運転を支える要となっている。

最大の特徴は南砂町~西船橋間の地上区間である。地上区間を比較的多く持つ地下鉄はほかにも存在するが、全線の半分を占める約14kmという長大な地上区間を持つ地下鉄は、日本では東西線のみである。比較的急カーブの少ないこの区間は、営団が各新車両の開発段階において様々な試運転を重ねデータを集めたという功績がある。

東西線は元々JR総武線のバイパス的役割を持って建設された路線であるが、この区間は建設当時密集地が殆ど無かったため、建設費節減の意味から高架線で建設され、当初は「住宅の無い過疎地に過剰投資」と批判もされた。だが東西線の開業により、都心までの通勤が一挙に便利な区間となり、起点の西船橋以遠のJR線(および次いで開業した東葉高速線)からの中・長距離通勤客の流入で混雑、さらに近年は沿線、特に江東区~船橋市一帯でのさらなる大規模マンションや宅地開発が進行したため、それらの近距離通勤客も加わって、以下の変化がもたらされた(各々の詳細については次章以降でもさらに解説している)。

この区間を一部の駅にしか止まらない、快速運転の実施。
西葛西駅、南行徳駅、妙典駅の新設。途中駅が新設された路線は他の地下鉄にも存在するが、3駅も新設されたのは東西線だけである。
ほぼ同時期に東京駅に乗り入れたJR総武快速線と共に、千葉県南西部と東京都心を短絡する大動脈となり、競合する京成本線の最混雑区間を、日暮里駅から京成船橋駅に後退させた。
他にも平均乗車距離の長さ、朝と昼の混雑率の差、定期券利用客率の高さがいずれも、東京メトロの路線ではトップクラスの座に位置し、この区間はもはや都心部を走る地下鉄というよりも、郊外へ延びる通勤路線の一つとしてとらえることもできる。

中野 落合 高田馬場 早稲田 神楽坂 飯田橋
九段下 竹橋 大手町 日本橋 茅場町 門前仲町
木場 東陽町 南砂町 西葛西 葛西 浦安
南行徳 行徳 妙典 原木中山 西船橋

千代田線

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千代田線(ちよだせん)は、東京都足立区の綾瀬駅から渋谷区の代々木上原駅間を結ぶ本線と、綾瀬駅から北綾瀬駅間を結ぶ支線(通称:北綾瀬支線)から構成される東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は9号線千代田線である。

北千住~綾瀬間は常磐線として東京地下鉄の路線で唯一JR東日本のSuicaがPASMO導入以前から利用可能となっていた。理由はこちらを参照されたい。また、この区間に限り、JR西日本のICOCAが利用できる。

路線名の由来は政治・経済の中心地、千代田区から。ちなみにこの路線名は、営団地下鉄(現・東京メトロ)社員の公募によって決まった。車体および、路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「グリーン」(緑)

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号では、喜多見方面より原宿・永田町・日比谷・池ノ端及び日暮里の各方面を経て松戸方面へ向かう路線として、東京8号線が示された。その後1964年(昭和39年)の改訂で、日暮里を経由し松戸方面に向かう経過地については、西日暮里・町屋・北千住を経て常磐線に接続し、綾瀬以遠は常磐線を線増することが示されたほか、喜多見方面から原宿までの経過地については、喜多見・代々木上原間は小田急線を線増することが示された。同年12月6日の建設省告示3379号において、第6号答申の東京8号線は東京9号線として確定した。さらに1985年(昭和60年)の都市交通審議会第15号答申では、起点が新百合ヶ丘駅まで延伸された(小田急側の要請により乗入れ区間は本厚木とされた)。

車両規格の関係で十分な輸送力が確保できない既存3路線(銀座線、丸ノ内線、日比谷線)の混雑解消を目的とした「バイパス3路線」の第1号(以降は有楽町線・半蔵門線)であり、大手町、霞ケ関、国会議事堂前など官公庁や大企業を多数擁する駅を通る重通勤路線である。特に東武との直通により混雑の激しい日比谷線の混雑緩和が目的とされた(緩和効果については常磐線複々線化の沿革と問題を参照されたい)。

両端駅以外で列車の折り返しが可能なのは、北千住・湯島・大手町・霞ケ関・表参道・明治神宮前の各駅で、大手町・表参道以外は各駅を発着する列車が現在でも設定されている(6000系・06系電車には定期列車で終着設定がない駅の分の方向幕もある)。このうち湯島の綾瀬寄りと霞ケ関の代々木上原寄りには引き上げ線が存在し、列車の夜間留置も可能となっている(1日に各1本ずつ存在する)。

大手町駅から日比谷駅にかけては、都営三田線と同じ道路の下を並走しており、建設にあたっては線路4本分の空間を内包する共用トンネルを埋設する工法が採られた。北千住~湯島間は不忍通りなどの下を走るが、道路幅が狭いためA線(代々木上原方面)が上、B線(綾瀬方面)が下という2階建て構造となっている。

霞ケ関駅付近に有楽町線桜田門駅とを結ぶ連絡線が接続している。有楽町線や南北線(市ケ谷駅構内に両線を結ぶ連絡線がある)車両の重整備を行うための綾瀬工場への回送や、東京湾大華火祭(小田急線からの直通、有楽町線新木場駅行)などイベント関連の臨時列車が連絡線を通過する。

明治神宮前駅~代々木公園駅間で、代々木公園直下に設置されている代々木車庫への回送線が分岐している。

2005年度時点の千代田線最混雑区間は町屋→西日暮里間179%である。直通運転を行うJR常磐線からの利用がかなり多いうえ、西日暮里で山手線や京浜東北線に乗り換える客が多いためである。

連絡乗車券は、直通する常磐線(北千住接続、亀有~取手、他に一部武蔵野線)・小田急線(代々木上原接続、東北沢~本厚木・唐木田)のほかに、東武伊勢崎線への連絡乗車券も販売している(北千住接続)。ちなみに、大手町・表参道の両駅では、半蔵門線経由押上接続の乗車券も販売している(小菅以遠では北千住接続の方が低廉)。

2008年(平成20年)春より、夕方から夜にかけて湯島駅から小田急線町田・本厚木方面へ向かう全車指定席の特急ロマンスカーを運転することが予定されている。車両は東京地下鉄と連携の上で小田急電鉄が乗り入れ専用のもの(60000形MSE)を新規に製造する予定である。実現すれば、東京地下鉄で初(営団時代も含む)、また日本の地下鉄では史上初の指定席特急となる。

北綾瀬 綾瀬 北千住 町屋 西日暮里 千駄木
根津 湯島 新御茶ノ水 大手町 二重橋前 日比谷
霞ヶ関 国会議事堂前 赤坂 乃木坂 表参道 明治神宮前
代々木公園 代々木上原

日比谷線

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日比谷線(ひびやせん)は、東京都足立区の北千住駅~目黒区の中目黒駅間を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は2号線日比谷線である。

路線名の由来は日比谷公園のある日比谷から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「シルバー」(銀)

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京2号線は、中目黒方面より六本木・霞ヶ関・築地・茅場町・上野及び三の輪(三ノ輪駅)の各方面を経て北千住方面に至る路線として示された。その後、北千住より竹ノ塚・松原団地・北越谷方面へと延長された。1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では、竹ノ塚~北越谷間の東武線複々線化が示されている。このうち中目黒~北千住間は日比谷線として順次開業した。

都内の北東の北千住と西南の中目黒を、途中銀座を中心として上野・築地・霞ヶ関・六本木など、要所を経由する路線である。北千住~南千住は隅田川を渡るため地上区間になっている。両端の駅では接続する東武伊勢崎線・東急東横線と直通運転をする。ほとんどが開削工法で建設されたため、道路の下を通り、平面線形は半径200m以下で90度曲がるような急カーブが連続する。

1964年の東京オリンピックに間に合わせるため、突貫工事で建設された(ほぼ同時期に建設された都営浅草線は全線開通がオリンピックに間に合わず開催期間中は工事が休止された)。

東武伊勢崎線から都心方向へ向かう直通ルートとしては半蔵門線もあるが、運行頻度や運賃、所要時間などの面で日比谷線(あるいは千代田線)が優位に立つケースが多いため、半蔵門線開業後も混雑はさほど解消していない。

北千住駅で東武伊勢崎線(東武動物公園駅まで。車両運用の都合上平日朝1本に南栗橋駅始発の直通あり)と、中目黒駅で東急東横線(菊名駅まで)とそれぞれ相互直通運転を行っている。日中の東武線直通運用は10分間隔であるが(北越谷駅までの東武線内の各駅停車は全て直通列車。以遠は、新越谷駅より先は各駅停車となる区間準急があるため、直通列車の本数は減少する)、約半数は北千住駅で折り返す運用となっている。

東横線へは朝夕ラッシュ時に10~15分間隔で菊名・武蔵小杉駅まで、日中は30分間隔で主に日吉駅まで運行される。日中や休日の東横線への直通本数は、2001年の東横特急運転開始時から大幅に削減された。

またラッシュ時には南千住、霞ヶ関、六本木行きも存在する。

東京メトロ03系以外の車両は、東武車・東急車はお互いの保安装置を持っていないため、3社直通運転は行われていない。東武線からの直通は中目黒まで、東急線からの直通は北千住までである。しかし50S以降の偶数番の車両は1日で東急線・東武線(直接ではなく東急線~北千住~中目黒~東武線)に乗り入れる運用も組まれている。

なお、行楽シーズンには北千住から横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通運転する臨時列車(みなとみらい号、開始当初は横浜みらい号)が運転されることがある。この列車は日比谷線内でも急行運転を行う(途中停車駅は上野・仲御徒町・秋葉原・人形町・茅場町・八丁堀・東銀座・銀座・日比谷・霞ケ関駅・六本木・恵比寿)。この列車は以前にも2003年12月に東京ミレナリオ号として急行運転を行ったことがある。

車両基地は南千住と竹ノ塚にある。竹ノ塚検車区は元の東武鉄道の西新井車庫を譲渡されたものである。

北千住 南千住 三ノ輪 入谷 上野 仲御徒町
秋葉原 小伝馬町 人形町 茅場町 八丁堀 築地
東銀座 銀座 日比谷 霞ヶ関 神谷町 六本木
広尾 恵比寿 中目黒

丸の内線

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丸ノ内線(まるのうちせん)は、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。東京都豊島区の池袋駅~杉並区の荻窪駅間を結ぶ本線と、中野坂上駅~方南町駅間を結ぶ分岐線(通称:方南町支線)から構成される。正式名称は4号線丸ノ内線および4号線丸ノ内線分岐線である。なお、新宿~荻窪間と中野坂上~方南町間は開業当時は荻窪線と呼ばれていた。

路線名の由来は金融関連や大企業の本社が集中する丸の内から(1970年の町名変更により、千代田区「丸ノ内」は「丸の内」と表記されるようになった。地下鉄線の表記は「丸ノ内線」のまま変更されていないため、しばしば混同されることもある)。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「レッド」(赤):○M(本線)、m(方南町支線)。但し、方南町支線は誤乗車防止のため車体にはさらに「ブラック」(黒)の帯が入る。

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号では、東京4号線は荻窪および方南町の各方面より中野坂上・新宿・赤坂見附・西銀座(現:銀座駅)・春日町・池袋および向原(小竹向原駅)の各方面を経て成増方面に至る路線として示されている(その後、池袋以西は8号線として切り離された)。

このうち、最初に開業した池袋~御茶ノ水間は、営団地下鉄(現・東京地下鉄)銀座線、大阪市営地下鉄御堂筋線・四つ橋線に次ぐ日本4番目の地下鉄として開業した。その後、丸の内経由で新宿方面へ順次延伸され1959年までに全通、さらに丸ノ内線の延長線として荻窪線が建設され1962年までに全線開業し、同線の車庫(中野検車区)への回送線も兼ねた方南町支線が建設され、同年に全通、1972年に荻窪線を丸ノ内線に編入して現在の路線網を形成した。

300形電車をはじめ900形電車が大活躍し、02系電車が登場するまでの長きに渡り、子供向けの「のりものずかん」「のりもののしゃしん」といった類いの冊子では、必ずと言ってよいほど、丸ノ内線が描かれたり写真が掲載されていた。特に写真撮影ポイントとしては、初代の後楽園駅ホームを「かまぼこ形」屋根ですっぽり覆い、当時の交通営団の団章である「S」マークの下を発車する銀座方面への「赤い列車」の風景と、御茶ノ水附近で国鉄中央線・総武線各駅停車と神田川とが錯綜する光景が、「お約束」の如く掲載されていた。風光明媚かつ都心の風景を象徴的に表す光景に加え、丸ノ内線が第三軌条方式で運転されるため、架線などの邪魔が入らなかったのも撮影者からは好まれたのだろう。

東京の地下鉄(東京メトロ・都営地下鉄)の路線では唯一東京駅に乗り入れており、池袋駅から東京駅、新宿駅を経て荻窪駅までのルートはU字形になっている。また荻窪~御茶ノ水~東京間では、JR中央線との並行区間および乗り換え駅の多さが目立つ。そして、茗荷谷~後楽園間、御茶ノ水~淡路町間の神田川橋梁、四ツ谷駅と、地上区間がこまめに存在するのも丸ノ内線の特徴である。

赤坂見附駅に銀座線への連絡線があり、同線車両の点検整備のための中野工場への回送や、同線車両による隅田川花火大会(新宿発浅草行)などのイベント臨時列車運行時に利用されることがある。

銀座線と同様に第三軌条集電方式を採用しているため、ポイント部分など軌条が途切れている区間があり、500形などの旧型車両では一瞬室内灯が消えて非常灯が点くことがあった(通称、瞬間停電との呼び名があった)。なお、当線の建設以降は郊外各線との直通を行うため架空線式で建設されたため、東京では最後の第三軌条方式の採用となった(首都圏全体ではその後1972年に横浜市営地下鉄ブルーラインが第三軌条方式で開業している)。

1995年3月に発生した無差別テロ事件「地下鉄サリン事件」の現場となってしまった路線の一つであり、多数の死傷者を出している。

1990年代後半に荻窪から朝霞方面への延伸に関する陳情が都議会で出されていたが、結局消滅した。

池袋 新大塚 茗荷谷 後楽園 本郷三丁目 御茶ノ水
淡路町 大手町 東京 銀座 霞ヶ関 国会議事堂前
赤坂見附 四ツ谷 四谷三丁目 新宿御苑前 新宿三丁目 新宿
西新宿 中野坂上 新中野 東高円寺 新高円寺 南阿佐ヶ谷
荻窪

銀座線

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銀座線(ぎんざせん)は、東京都台東区の浅草駅から渋谷区の渋谷駅間を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は3号線銀座線である。

路線名の由来は繁華街の銀座から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「オレンジ」(橙)

1927年(昭和2年)に日本で最初に浅草~上野間で営業を開始した地下鉄である[1]。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、極東では初めての地下鉄路線であった。

このうち、浅草~新橋間は「東京地下鉄道」によって建設・運営された。本来は新橋から浅草まで一挙に開通させることを目指していたものの、関東大震災後による不況のため資金調達が困難になってしまい、当時は日本一の繁華街で高収益が見込める浅草から上野までの建設を先行させたのである。開業当初は物珍しさもあって、乗車時間わずか5分の区間に乗るため2時間待ちの行列ができたという。その後の経営も順調で7年後の1934年(昭和9年)に全通した。

一方、渋谷~新橋間は目黒蒲田電鉄系の「東京高速鉄道」により建設・運営された。1939年(昭和14年)に渋谷~新橋間が全通した。その後、東京地下鉄道との相互乗り入れ運転が開始された。

戦時体制下の1941年(昭和16年)、両社は国策上設立された特殊法人「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)に統合される。土被りが薄く爆弾等の被害を受けていたため、戦時中は空襲により度々運休となった。また日本陸軍は軍事物資優先輸送のため、空襲時も一般市民の構内への避難を一切許さず、ロンドンやベルリンの地下鉄のように市民の生命を救うことはなかった。

戦後、丸ノ内線が開業する前年の1953年(昭和28年)に、当線に銀座線の名称が付けられた。長く営団の重要路線として機能することとなる。

2004年(平成16年)4月1日の営団の再編に伴う「東京地下鉄」の発足に際しては上野駅で発車式が行われた。

第三軌条集電方式を採用している関係上、ポイント部分など軌条が途切れている区間があり、1993年7月まで使われていた旧型車両では一瞬室内灯が消えて非常灯が点くことがあった。消灯時の反応で東京へ来て間もない人かどうかが判断できるとも言われた。

トンネルが小さい故に車両自体も小さく(東京地下鉄の車体の規格の中で一番小さい)、そのため乗車定員は少ない。1両の定員は100人・102人。また、トンネルが小さい故、車内冷房装置の屋外機が天井に取り付けられないため、小型の冷房装置を使用していて比較的暑い路線である。

輸送人員は一日平均1,016,086人で、浅草・上野・日本橋・銀座・新橋・赤坂・青山・渋谷といった繁華街やビジネス街を縫う様に走る路線のため利用客が多く、日中でも3分に1本の割合で高頻度の運転がなされている。この路線の混雑緩和のために建設されたのが半蔵門線である。また後発の他線に比べても乗り場が浅く、田原町駅や末広町駅、虎ノ門駅、外苑前駅など多数の駅で階段を降りたら目の前が改札口で、改札口を通れば目の前にホームという利用しやすい形態になっている。

上野検車区は地上と地下の2層構造になっていて、地上車庫の入口箇所には日本の地下鉄では唯一となった踏切(しかも日本では珍しい軌道遮断式)が存在する。また、渋谷駅周辺が窪地であるという地形上、同駅では東急百貨店東横店3階にあるホームから発着する。

昭和30年代には渋谷から二子玉川園(現二子玉川)駅への延長の形での東急新玉川線建設が計画されていたが、後に半蔵門線との接続に変更されて、現在の東急田園都市線の形となった。一方、反対の浅草側は、三ノ輪駅への延長計画があったが、昭和50年代に中止された。

赤坂見附駅の溜池山王駅寄りに丸ノ内線とを結ぶ連絡線がある。銀座線車両の重点検整備のための中野工場(中野富士見町駅近在)や小石川工場(茗荷谷駅近在)への回送や、隅田川花火大会開催日の臨時列車(丸ノ内線新宿発浅草行)、中野工場見学会などのイベント列車などが連絡線を通過する。

ホーム有効長が編成長ぎりぎりの駅が多いことから、オーバーラン防止と駅進入速度の向上による運転間隔の短縮・輸送力増強を図るために定位置停止装置(TASC)が設置されている。

浅草 田原町 稲荷町 上野 上野広小路 末広町
神田 三越前 日本橋 京橋 銀座 新橋
虎ノ門 溜池山王 赤坂見附 青山一丁目 外苑前 表参道
渋谷

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