古く「那津(なのつ)」「荒津(あらつ)」「灘津(なだつ)」「冷泉津」「筑紫大津」と呼ばれて博多湾は、『続日本紀』において「博多大津(博多津)」と記されているのが見出される。外港であった博多津には鴻臚館が存在し、鴻臚館貿易が行われると遣唐使が経由地として訪れていた。
757年(天平宝字元年)に櫛田神社が創建。空海は博多に東長寺を建立している。乱に際しては、朝廷追捕使小野好古と藤原純友との争いで博多の町が焼失する。
好古は戦勝祈願にと櫛田神社に素盞鳴大神を勧請したとされる。のち、博多津では北宋や南宋の商人や住吉神社・筥崎宮など寺院神社や荘園領主らの私貿易による日宋貿易の拠点となった。
日宋貿易で栄え、近年の発掘調査から宋銭が博多でも流通してことが判明している。
宋人は船団を組んで盛んに往来し、博多に居を寺社とも結び付いた。このような宋商人は「綱首」(ごうしゅ、こうしゅ)と称される。栄西が博多に聖福寺を開山したのも、博多綱首が心物両面で援助したからであった。僧により茶・饂飩・蕎麦・饅頭が日本にもたらされ、博多はこれらの発祥だという説がある。
頃に清盛は博多に人工港「袖の湊」(そでのみなと)を開いて日宋貿易の中継地としたと考えられている。
博多どんたくの前身である博多松囃子は、清盛の子重盛が博多の町にもたらした謝意を示したのがはじまりとされ、また博多祇園山笠は弁円が疫病の流行する博多の町を甘露水で清め回った1241年を起源としている。
元寇が襲来した文永の役(1274年)によって博多の町は焼失した。
1333年(元弘3年)に後醍醐天皇が挙兵すると、菊池武時が鎮西探題北条英時を襲い博多の町を焼き払った。
貞世は倭寇によって博多に連行された高麗人捕虜を哀れみ、毎年数百人単位で帰国させている。倭寇討伐の要請などを受け、大内氏とともに倭寇を討伐し、日明貿易(勘合貿易)開始に携わったが、讒言にて失脚した。
室町幕府は、私貿易を行っていた大内義弘を乱で討ったのち、博多商人肥富(小泉)の進言を受けて1401年(応永8年)に祖阿を正使、肥富を副使として明へ第1回遣明船を出してもいる。
この頃の博多商人は日明貿易や日朝貿易のみならず、琉球を経由して貿易にも関わり、中でも道安という商人は名代として貿易を行った。
日明貿易が再開した1432年(永享4年)、少弐嘉頼家臣・三原入道の家人と秋月満種家臣・原田種泰の家人が見物に来て博多祇園山笠の「追い山」の会場にて衝突、三原方50人余、原田方20人余の死者を出した。
翌年には少弐家人と大内持世家人が博多で衝突。この他にも守護大名同士や大身らは、筑前国の覇権や日明貿易の主導権をめぐって抗争を各地で起こした。大内政弘は少弐勢力を博多から追放、筑前や豊前までを勢力下に置き、博多の町は大内勢力と配下となる。
応仁の乱ののち堺が足利将軍家や日明貿易の拠点として台頭すると、大内氏と利害が衝突するようになる。
たるのが日明貿易の港寧波で大内義興一味と細川高国一味が争った波の乱(1523年)である。こののち大内義隆が1536年(天文5年)に遣明船を再開する。義隆は博多祇園山笠の舁きうち6本を周防国山口に分け移したと言われている。1551年(天文20年)に義隆が家臣陶晴賢の謀反で追われ自害したのち、博多の町は大友宗麟により統治される。
だが同年に筑前国衆の筑紫惟門が宗麟に反旗を翻して博多を襲撃し一万軒が焼失。
1569年(永禄12年)には毛利元就に懐柔された立花鑑載によって焼失。商人は肥前国に避難しており、神屋宗湛も唐津に逃れていた。
大友氏は、博多の町の南東を流れ那珂川に注ぐ比恵川の氾濫を防ぐため大規模な治水工事を元亀・天正年間に家臣臼杵鎮続に命じて行わせ、博多湾に流れ込むようにした。
大友氏時代の博多は九州で富裕な町であったと言われる。
博多では後年の1597年(慶長2年)の資料において「十六人之年寄衆」と残っている。宣教師アルメイダは「博多はキリスト教を受け入れず日本一布教しづらい土地であった。その理由は裕福で贅沢な町だからである」と伝えている。フランシスコ・ザビエルは途中に博多にも立ち寄っている。文献において博多は「Facata」「Focata」「Facatta」と記載された。その一人で神屋宗湛の祖父寿禎は大内義隆の父義興の支援で石見銀山を開発する。
日明貿易船やポルトガル船・オランダ船などに無担保で銀を融資し、航海成功時に3~11割の高利子を付けて返済させる「抛銀」(なげがね)というリスクの高い商行為がおこなわれており、神屋氏をはじめ博多商人もこれによって多額の利益を得た。
1580年(天正8年)には龍造寺隆信が筑前国に進撃。
博多の町の全土が焼失した。軍が博多を占領するも1586年(天正14年)8月下旬に博多を焼き払って撤退する。
同年6月10日に秀吉はポルトガル船に箱崎浜から乗船して焦土の博多を眺める。博多の復興に取り掛かり、黒田如水を住民を呼び戻す役目を担わせた。櫛田神社に社殿を寄進した。(さだめ)を発布。
問屋や座を禁じ、土地家屋への課税「地子」や武士への労役「諸役」も免除し、博多に武士が家を持つことも禁止され、博多の廻船を全国で保護し、喧嘩も両成敗とした。朝鮮出兵を見越して博多の町を兵站供給地とするためであったとされる。秀吉はこの博多滞在中の6月19日にバテレン追放令を発布している。
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